茂木健一郎講演:「思い出せない記憶の意味について考える」(1 of 3)

※話者:茂木健一郎

※とき・ところ:2005年7月22日 「第14回 三木成夫記念シンポジウム」(東京藝術大学
※出典:第14回 三木成夫記念シンポジウム - もぎけんPodcast
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した語句です。

(途中まで略)

 記憶というのは、現代の機能主義的な文脈の中だと極めて限定されたコンテクストの中でしか扱われなくて……例えば私が一般の方向けに記憶の話をするとですね、記憶力ということを非常にシンプルな意味でとらえた質問が来るんですよね。つまり、昔に覚えたことをどのようにして正確に保持し続けられるかというような意味で「記憶力をどうしたらいいのか?」ということを訊かれることが多いんです。でも本来、記憶というのは――これは三木成夫先生のライフワークでもあったわけですけど――もっと広い文脈の中で考えなければそのトータルな意味は分からないわけで……私がそのことについてあまりちゃんと考えていなかったなということに図らずも気づかされたのが、三木成夫先生をめぐる、あるエピソードなんですね。私の人生にとってはかなり重要な出来事だったので、ちょっと説明させて頂きます。
 私は、数年前から――もうちょっと前からかな――養老孟司先生とか布施英利先生とかそのような方とお会いするたびに三木成夫という名前がまるで呪文のように出てきまして……とにかく凄い人らしいということは分かっていたのですが、私の人生のなかでは今まで三木先生とは関わりが無いと思い込んでいたんですね。
 ところが、布施先生が新潮社の『考える人』という雑誌の特集の中で三木先生のことを書いていて……三木先生が東大の医学部で講演をしたことがあるという話が書いてあったんですね。それで僕は、20年ぐらいずっと忘れていた自分のある記憶を思い出したわけです。それは何かというと、私が学部学生の頃に東大の五月祭を当時のガールフレンドと歩いていて、胎児の写真が使われている講演会のポスターをたまたま見たんですね。それで、なんとなく心惹かれるものがあったから東大の医学部の1号館に入っていって……でも立錐の余地が無いんですよ。皆もう熱気に溢れていて。それで、その先生が1時間ずっと胎児の写真を見せながら「ここらへんで海中から陸上に上陸するんだ」といったようなことを、「最初にエラみたいな構造ができて、それが消えていく」っていうことも含めてずっと熱弁されていたんですね。それで1時間経って会場の明かりが点く頃にはもう皆、なんかちょっと異常なトランス状態みたいなふうになっていてですね(笑)。ふっと気づいたら、僕のジャケットのここらへんが濡れているんですね。なんで濡れてるんだろうと思ったら、私の隣に居た私のガールフレンドがぼろぼろ泣いていてですね、その涙が私のジャケットのここに掛かっていたんですね。外に出て、――五月祭というのは5月のすごく爽やかな季節に行われていて――どうして泣いたんだって訊いたら、ああいうことがあるのになぜ人間は戦争をするんだろうかと思った、ということを聞かされまして……。そのことを僕はずうっと忘れていたんですよ。ところが布施さんの記事を読んで、ひょっとしたらあの時の、胎児の写真を見せて色々熱弁していた先生が三木成夫なのではないかと思って布施さんに確認したらどうも間違いないらしくて。三木先生は東大医学部で講演を2回されたらしくて、1回目は布施先生とか養老先生がいらしたんですけれども、2回目のいらっしゃらなかった時にたまたま僕が通りかかったらしいんですね。三木先生はその2年後くらいに亡くなられていますので、私は本当にぎりぎりに三木先生の講演に間に合ったんですね。
 それが私にとってなぜ動揺する出来事だったのかというと、僕はあれから20年間ずっとあの記憶を忘れていたわけなんですけれども、――思い出せない記憶だったんですが――あのときの三木先生のご講演に確実に影響を受けていたんですね。例えば誰かが妊娠されたとか子供ができたという話を聞いたときに無意識のうちに、なにかその……海の中から生物がだんだん出ていくようなそういう経歴というものを思い浮かべていたように思うし、あるいはバリ島に行って夜の海を見ていたときにその打ち寄せる波とかを見ていて「ああ、俺は海の向こう側から来たんだな」とかそういうふうなことを思いだしたりしていて。その時に、三木先生の講演に自分が影響を受けていてそういうことを考えているということは全く自覚せずに自然にそんなようなことを考えていてしまったということなんですね。それが私になぜ動揺を与えたかというとつまり、近代の脳科学が前提としているような、「記憶というのは思い出せることである……意識の中で、ある特定のエピソード記憶だとか意味記憶として思い出せるものである」という記憶観というものが根底から揺らぐのを感じたわけですね。つまり、「記憶というのは意識の中で表象できるものである」という前提を外した瞬間に、パンドラの箱が開いたように大変な世界が広がってくるということをそのとき私は実感して、それで折に触れて考えております。
 「意識の中で表象される」という限定を記憶の定義から外したときになぜパンドラの箱が開くのかといえば、フロイトが議論したような無意識の問題がまずはあるわけですね。フロイトは「ある種の記憶というのは、抑圧されて意識の中に出てこない」という話をしたわけで、それをさらに進めて「スクリーン・メモリー」という概念があるわけですよね。これもなかなか近代の機能主義的な記憶観を揺るがす概念だと思うんですけれども、スクリーン・メモリーというのは、ある別の思い出したくない事項を隠蔽するために、あえてスクリーンのように設定される記憶ですね。普通、記憶というのは、ある事項を明示的に想起するためにあるというふうに考えるにも関わらず、スクリーン・メモリーというのはむしろメモリーがあること自体で別のものに直接アクセスできなくなるという概念ですね。これはですね、精神病理の現場から出てきた他の概念と同じように、実はもっと普遍的な意味をもつ概念ではないかと私は考えているんですね。
 そもそも記憶というものの性質が何なのかということを、例えば無意識の記憶の抑圧だとかスクリーン・メモリーみたいなことを通して1つ1つ検証していくということは実はいま脳科学の現場で行われているわけでして、臨床的に、あるいはイメージングの世界で分かっていることは例えば多重人格障害――解離性同一性障害――というものが脳のどういうメカニズムで起こっているか……自分が虐待を受けたという幼少時の記憶を抑圧して新しい人格を立ち上げるというメカニズムが脳の前頭葉の右側の活動によってどのように起こっているかということがまあ見えてきたりはしているんですね。
 でも、私が三木先生の講演を思い出したときに深く動揺したというのは、そのような精神病理的な文脈に限定したことでもないんですね。というのは、精神病理的な文脈で言えば、「本来は思い出せるはずの記憶が、思い出せない」という或る種の中間的な領域が問題にされるわけですけれども、「思い出せない記憶」という問題設定の射程は、おそらくもっと広い。例えばこれは近代の意識の研究における大前提でありますownershipの問題にも抵触してくるわけです。これがまさに三木先生が「生命記憶」というかたちで議論しているもので、つまり、或る記憶が自分の記憶であるというのはどういう意味かということですね。
 我々は、例えばインドで前世の記憶を持った少年が現れたとかいうのを聞くとですね、近代人の合理主義のもとで笑うわけですよ……「またそんな迷信みたいなことを思って」と。その時の前提になっていることはつまり、「記憶というのは、自分が生まれ落ちて以降の――postnatalの――体験の一部分を記銘して、後に表象することである」というのが基本的なownershipの考え方であります。しかしですね、本来、記憶というものを「今、ある時点で脳の中に――あるいは脳じゃなくてもいいんですけれども、他の臓器に――残っている痕跡、過去からの痕跡」と考えたときに、このownershipの概念は当然揺らぐわけでありまして……つまり私の現状のこの脳のconfigurationを作っているものというのは、私の生まれ落ちてからの体験によって作られている部分もありますし、遺伝子によって作られている部分もありますし、細胞質における遺伝とか継続性によって作られているものもあるし、文化的に条件付けられているものもありますし、要するに因果関係の連鎖のなかで「私が今ここに居る」ということを成り立たせている全ての要素が私のこの今の脳のconfigurationに寄与しているわけであります。そうなりますと、「私の今のこの状態に残されている痕跡」というかたちで記憶を定義し直した場合にですね、そのほとんどは思い出せないもの――つまり、自分の人生で「こんなことが起こった」というエピソードとして思い出せないもの――であることは当然なんですね。むしろそのような思い出せないかたちで私の現状に残されている痕跡の方が厖大な領域を占めているわけでありまして、私がいかにそのようなものに影響を受けて、あるいは多くの恩恵を受けて、あるいは時にはそれによって制約されて生きているかということは、これは改めて考えてみれば当たり前のことなのであります。
 そのような世界観に基づいて我々の身体というものを見たときにですね、近代的な機能主義の下で構築された記憶観というものはこれはいかにも狭いんですね。その狭さのなかから、脳科学という研究分野はちょっとなかなか逃れられないところがございます。というのは、やはり操作可能なものでないと科学研究の対象になかなかならないんですね。例えばですよ、私が生まれて初めて焚き火を見たとします。その焚き火を見るということによって私のなかで、ある種の非常に原始的な感情が引き起こされたとして、その感情というものは当然私のその時点での脳のconfigurationによって引き起こされているわけですけれども、そのなかには当然、人類の進化の過程で「暗闇を背景として明かりを見る」ということがもっていた様々な生物学的な、あるいは機能的な意味というものが私の脳に残した痕跡というものが投影されているわけですよね。ですから、「インドのある村で前世の記憶を持った少年が生まれた」というようなファンタスティックな言い方をしなくても、私が焚き火を見たときに引き起こされた感情というものが、私に至る祖先が長い進化の歴史のなかで体験してきたトータルな履歴に影響を受けているということは当然なんですよね。これはべつにオカルトでもなんでもなくて、生物の連続性からみれば当然のことなんですよね。
 そのような領域をどのように耕していくかということは、脳科学に限らず近代科学が全くやっていないことで、それは実は東京藝術大学のような芸術の分野の人たちがある程度やっていたことなんだと思うんですね。そのような様々なことを考えるきっかけというか非常に射程の長い思考をされていたのが三木先生だと僕は思うんですよね。これは本当に――布施先生は「これからは三木成夫だ」って2年くらい前からずっと言ってるんですけれども――色んなかたちで考え直すようなきっかけを三木先生は与えて下さっているんだろうと思うんですね。

2 of 3へ続く)