NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:篠原鋭一インタビュー「いのち 人と人の間に」(2 of 2)

※話者:篠原鋭一(千葉県成田市曹洞宗春岩山長寿院住職)、山田誠浩(ききて)
※放送日:2009年6月1日
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。

1 of 2からの続き)

ナレーション:まだ病気の後遺症も癒えない頃、篠原さんは成田に赴きます。檀家の人たちは、屋根などに精一杯手を入れて住職を迎えてくれました。
 篠原さんは地域の人たちに呼びかけて、共に石仏を彫りました。人々の苦しみを代わりに担ってくれるという地蔵菩薩です。新しい寺を、誰もが訪れることができる拠り所にと、周囲の人と力を合わせて一つ一つ再興していきました。坐禅や写経、説法の会など、葬儀や法事以外に人々が寺を訪れて仏道に触れる機会も工夫しました。
 篠原さんは幸い病後の経過も良く、人々と共に働き人々に仏法を語りかけながら少しずつ、話すこと・歩くことなどの日常の困難を克服していきました。
 そんな篠原さんの評判を聞いて、「死にたい」と思い詰める人々が訪れるようになっていきました。

篠原:お寺をひらきますとやはりね、様々な苦悩を持った方々の訪問がちょこちょこと増えてきたんですね。でもまあその中でもとりわけ……20代後半の青年が、もうヘトヘトになって「私はもう死ぬしかないんだ」というふうに入ってきた。彼は[かつて]暴力団の一員に加わってしまって暴力団内での事件を起こして、――けっこう体の大きな子でしたけれども――もう本当にずたずた・よれよれでしたね。
 それで、彼の話をずうっと聞いてみると、とにかく20数年間の人生は――本人が言うんですけれど――「もうほんとうに嘘ばっかり吐いてきました」と。嘘ばっかり吐いてさらにそれを塗り固めるために嘘を吐いてという人生……「それでもう人生に疲れちゃいました」と言う。それで「いつ死ぬか、いつ死ぬかと思っていたところへ住職の話を聞いたんで来ました」と言うから。
 それで「よし。どうなんだ……本心のところ生きていきたいか? それともあっさりと死にたいか?」と[私は言った]。その頃は、自ら命を絶とうとする人たちの心の中に対して思いやる気持ちが私もそれほどなかったですから、わりかしズバズバズバズバと言ったんですね。それで私も、この自ら命を絶とうとしている青年に生きる方向へ大転換をさせるために何を言ったらいいんだろうなという……。正直言ってね、体験がまだなかったですから迷いに迷ったんですが、「どうだ、私の言うことを聞くか?」と言ったら「何でも聞きます」と言ったから、「わかった。これから仮の出家をしてみよう」と言って、そのころ弟子がいましたから弟子たちに風呂を沸かせて、本当に仮の出家の用意をして、そして僧侶が着る白衣を着せて、青々とした頭に……私が出家の作法を執り行って、弟子の名前も付けて、ご両親の了解も取って。それから彼の生活がここで始まったんです。
 8ヶ月間、朝早く起きて坐禅をしてお経を読んでというふうなことを形どおりずうっとやって。彼に、これはあなたの仕事として絶対にやり抜けと言ったのは、この縁側を磨くことです……せっせこせっせこ。光るまで磨けと言って。それでもう最初は嫌々やってましたねそれでも。「やります」と口では言うんだけどなかなかダラダラダラダラ……。でもやっぱり他の弟子たちは「もっと力入れてやるんだ!」と――皆それぞれ修行道場で経験しているから――先輩面して。ガンガンガンガン怒られながらやっていましたよ。
 それでやっぱり本気になるとですね……縁側が輝き始めたんですよ。3ヶ月以上はかかりましたね。それで或る時に「こんなにピカピカになってもまだやらなきゃいけませんか」って言ったから、「この廊下を磨くことが目的なんで、結果的にはピカピカになったとしても、君の役目はもうひたすらこの廊下を磨き続けることが目的なんだ」と。結果的に、掃除をすればきれいになりますよね、それは確かに。しかしきれいになっても掃除はするんです。この縁側を磨くことによって、そのことをゆっくりと彼が分かってきた。一つのことに一途に打ち込むことはどういうことなのかが分かってきた。他の弟子たちも褒めますよね。「よくやるじゃないか」と。「よく続いてるなあ」。そうするとですね、彼の顔が久々にニコーッとしたんです。それは、褒められたということでもあるんだけれども、自分の存在がそこで認められたという事実なんです。認めてもらった途端に彼の顔は輝いた。「ああ、私は生きていける」。彼はそう思った。それからまた3ヶ月、彼はますますここに磨きをかけましたよ。
 人間というのはやっぱり、孤立状態から自分の存在を誰かが認めてくれている・見つめてくれる・寄り添ってくれているという状態に置かれたときっていうのはたいへんな喜びがあるんだということが、我々が外から見ても分かったし本人がいちばん知ったんだと思うんです。その瞬間、彼は「生きる」というふうに変わっていった。私はここが重要だと思うんです。本人が――彼のみならず私が対話している方々が――「私なんか生きてても意味がない」とか「消えてしまっていい人間なんだ」という思いが非常に強いです。ところが、「生きたい」という思いと同時に誰かがその存在を認めることによって「ああ、私は死ぬ必要はないんだ。生きてていいんだ」という納得ができたときにやっぱりね、志向は生へと向いていきますよ。

 それでちょうど7ヶ月経った頃でしたが、そろそろ[彼は]卒業の時期だなと思って、「もう死ぬ気は無いだろう? まだあるのか?」と訊いたら「ありません」って。「よっしゃ、卒業だ。でも卒業に際して一つ儀式をやる」と言って、きちんと衣服を整えてこいと言って、本堂の真ん中に鐘――ゴーンと鳴る大きな鐘――をどんと置いておいて、「いいか、あなた自分の部屋に帰って、今まで思い出せるだけの嘘――自分が過去に吐いてきた嘘――を全部書き出せ」って言ったんです。1時間もしない間に持ってきたんです。何枚もないですよ。それで僕が「これだけか? 本当にこれだけか!?」と訊いたら、「すいません」と言ってまた書いてきた。そして3時間ぐらい経ったら少し多くなっていましたよ。「本当にこれだけかな? 嘘を吐くんじゃないよ」と言ったらまたすごすごと帰っていって、結局翌日の朝まで。もうね、私の前に来たときにはこんなにありましたよ。そして「住職さん、これだけです」って言う。「本当か!?」と訊いたら「本当です。もうこれしかありません」って言って、ぼろぼろぼろぼろ涙を流したから、「これをこれから全部あそこで焼き捨てる。焼却する……お経を詠みながら」と言った。そしたら「住職さん、読まないんですか?」って言うから、「私が読むために書いたんじゃないんだ。あなた自身が過去の嘘をすべてここで洗い流し焼却するためにあなたがもう一回見つめ直した証拠がこれだ」と言った。お父さんとお母さんに本堂に座って頂いて、彼を真ん中に座らせて、弟子たちとあの中で[焼却の儀式をした]。焼却の儀式が仏教的にあるんです。お経を上げながら。そしたら彼がもう炎を見ながらぼろぼろぼろぼろ泣いましたよ。それで彼は立ち上がって、今は印刷会社で堂々と仕事をしていますけれどね。そういうその、人生の大転換。

山田:ここに来られた方とのそういうことに向けての共同の歩みがずっと積み重なっているということですね。

篠原:そういうことですね。やっぱり、死を見つめるところまで辿り着いた背景というのはお一人お一人で全部違いますから。
 意外に遠いところからおいでになるんですね。九州であるとか北海道であるとか青森であるとかという。それで私は、「もっと近くに――身近なところに――お話しになる方はいらっしゃらないんですか?」と思いますよいつも。[しかし]人間というのはそうじゃないんですね。やはり、まったく赤の他人だから・見も知らぬ人だから話ができるという部分はあるんですね。
 ご自分では、すごく重い幾つもの荷物が入った風呂敷包みを背負っておられると私は思っているんですね。それで、「できればその風呂敷包みをここに下ろしましょうよ」ということを私は言いたい。でも、そこのタイミングというのが非常に難しい。できればご自分のほうから「一度この荷物を下ろしますよ。この荷物を下ろしました。開いてみます。私、こんなにたくさんの荷物を背負っちゃってるんです」ということをご自分のほうからお話し頂くのが私にとっては第一歩なんで。

山田:それは、何回もお会いになる経過の中で初めてそういうことができていくっていうふうなことにもなるわけですね?

篠原:そういうことです。私の存じ上げている心療内科だとか精神科の先生たちも仰っていますけれども、「今の日本の状態では、鬱症状が現れている患者さんのお話しを延々と2時間も3時間も聞くことはまったくできない。本当はそうしたい。そうすると心の荷物が軽くなるということは分かっています。それと身体的症状との両方をケアしていくようなことはできる」と仰っていますけれども、今の状態ではまずできない。「『眠れますか? 眠れませんね。では少し強い薬を出しましょうね』と、これで終わってしまう状態だ」と、先生たちも嘆いておられる。その医師は「そういう時にその方の持っている苦悩という大荷物を開いて一つ一つ検証して整理をしてくれる人がその方の近くに居たら、その方の苦悩は半分くらいになる可能性はある」と仰るんですよ。ごちゃごちゃになっている、何でもかんでも放り投げて一括りにしてしまった荷物――風呂敷包み――を、お互いに一回検証してみる。渦中にありますとね、どう整理したらいいかというふうなことが[本人には]ほとんど分からなくなっているわけです。一人で考えて一人で悩んで一人で苦しんで、その結論が「自ら命を絶つ」ということですよね。何もかも一人で処理をしよう・解決をしようという思いばかりだったわけですけれども、そこへ縁があって私と出会った。そしてその苦の解決のための出口を見つけていきましょうという、そういう作業。これをまあ、私たちは「同事行」(どうじぎょう)と言っているんですけれどね。

山田:同事行……。

篠原:「同じ」という字に「事」ですよね。それから「行う」、――「修行」の「行」ですね――「同事行」。「この道は苦しいから、あなた勝手に行ってよ」ということではなくて、「私と一緒に行きましょう」という。

山田:仏教の中でそういう言葉があるんですか?

篠原:あるんです……「同事行」という。
 それこそ、正月になると「今年の運勢は……」って言いますよね。「あなたの運は……」だとか「私の運は良いのだろうか」とか。実はわれわれ仏教では「運」ということは言わないんですね。「運」ではなくて「縁」なんですよね。結婚式のときに「良いご縁で」とか「ご縁が結ばれまして」というふうな言葉を言いますよね。あのときに「運が結ばれました」とは言いませんね。
 原理原則で言いますと、どんなことにも原因がある。「原因」の「因」ですね。そして原因があるということは必ず結果が出ますね。それを一般的に「因果」と言っていますね。でも、その「因」と「果」の間に……真ん中に「縁」というのがあるんですね。だから本来であれば〈因 縁 果〉というふうに受け止めるのが正しい。原因があって結果が出るんですけれども、結果が出るためには、その間の「縁」――言葉を換えて言えば「条件」――が、結果を生みだしていく。原因はきっかけにはなっただろうけれども、条件によっては結果がうんと変わります。
 「今あなたは死を向いている。死を向かざるを得ない条件が積み重なっているわけだから、今度は生き生きと生へ向かっていく……そういう思いが湧いてくるような条件を積み重ねていくようなことを私と共同作業でやりましょう」と。「そんなことできるんですか?」……実はできるんです。なぜか。世の中は常に変化しているからです。これを仏教では「無常」と言っています。「常ならず」ですね。じゃあ、移り変わっていくのをただ待っているだけでいいのか。[待っているだけ]ではなくて、やっぱり〈因 縁 果〉だから、「生きていこう」という思いをまず持とうよ、と。

山田:そういう方たちが生きる方向に変わってゆかれるというのは、その方の中にどういうことが現れたときといいますか、どうなったときにその方は「生きよう」というような方向に動いてゆかれることになりますか?

篠原:それはやっぱり「気づき」ですね。「気づき」です。

山田:何に気づくんでしょうかね。

篠原:だから、「この今のあなたの苦しみはね、このままずうっと続くわけがないんですよ。すべて物事は移り変わってゆくんですから」と言う。そうするとですね、「ああ、言われてみたらそうだな」という思いが湧いてくると、今までの一途に死を見つめていた心の中にふっとですね、違った思いが湧いてくる。

山田:なるほど。そのためには、相談に来た方が「ああ、少なくとも篠原さんは一緒に考えて下さっている」という実感を持って下さるまで……。

篠原:そうです。ですから、先ほど申し上げましたように「また会いましょうね」と言うのは、これは同事行……自分と自分以外の方とが共に行う行為ですから。そこには孤立感というものはなく、そして孤立であっても、もしその同事行というものが共にできるのであれば、孤立感からの解放は必ずなされると私は思っているんです。

ナレーション:訪れる人が抱える切実な問題に、一つ一つ手探りで向き合ってきた篠原さん。重い課題への答えが見つけられないときもあります。そんなとき、いかに生きるかを説いた釈尊の言葉に立ち返るといいます。
 なかでも悩むのは、家族を自殺で失った悲しみに後を追おうとする自死遺族からの相談です。どうすれば自殺の連鎖をくい止められるのか。命をどうとらえればよいのか。問い続けてきました。

篠原:実は、自死遺族の方々との対話というのは私もとても悩むところなんですね。ということは、自死遺族の方々というのはお嬢さん或いは息子さんがなぜ自ら命を絶ったかという大きな疑問に真っ正面からぶつかるわけですね。「なぜなんだ。なぜなんだ。なぜなんだ」という。そして、その「なぜなんだ」というのが……お嬢さんや息子さんの亡くなる1ヶ月前・2ヶ月前に「実はあのとき大喧嘩やっちゃってね」とか、「メールが来たのに返事をしてやれなかった。それであの子……まさかそういうことはないけど……」っていうふうにどんどんどんどん原因探しをおやりになるわけですよ。

山田:「なぜ?」っていうことは、なかなか回答が出ないことですよね。

篠原:はい。回答は、求めても求めても無いものねだりで、出ません。自死遺族の方々が願われることは、亡くなった人が帰ってくることですから。とにかく時間をかけて何度もお会いをして……。
 一つまず言えることは、「どうでしょうか。生物的な意味での命と、もう一つは、その方が過ごされた20年、あるいは45年……その生きた時間も命ではないですか」と。そうすると、「肉体という意味での命は変化をしてしまった。だけれどももう一つ、長年暮らした場所・時間・行動……そういう亡くなった方――自ら命を絶った、ご主人であったりお子さんであったり――と深い縁(えにし)に結ばれていた方との共有した行為というものはやはり命として今もお父さんやお母さん或いは奥様のそばにいつも一緒に輝いているんじゃないですか」。そこまでなんですね……私がお話しできるのはね。

 やっぱり、思い出を語りましょうということで、ここでお茶を飲みながら「あんなことをした、こんなことをした」というお話しをずっとして頂く。それで時々、――僧侶ですから――ご命日の日にはそっと来て頂いて、何度もご一緒にお経を上げてご供養するという。これは私が僧侶であるゆえに出来うる、亡き人への一つの手向ける行為なんですね。

山田:やはり、そういう日を確認することで少し整理がついて元気になっていけるということに繋がっていく。

篠原:そういうことですね。
 余談ですけれども、人間(にんげん)というのは仏教的な読み方なんですね……中国で教典から出てきた。本来[の読み方]は人間(じんかん)だったんですね。「じんかん」というふうに受け止めてみたら、非常によく分かる。「俺は俺なんだ」、「私は私なんだ」という思いが非常に強い。しかし、そんなことは絶対にあり得ない。何度も申し上げているように、自分は他人との関わりによって生きていく。そのことしかできない。それを突っ込んでいくともう一つは、命さえも自分一人のものではないんです。私がここに居る。山田さんがここにいらっしゃる。私たちの命というのは、脈々とバトンタッチされてきた命の連鎖による命ですよね。その命と命が常に関わり合って生きているということなんですから、「俺の命は勝手にしてもいいんだ」ということは決して言えない。自分の命を愛おしく思うと同時に、他者の命をも愛おしく思う。もし自分の命を絶ってしまうということは、他者の命も絶つことになるんだというふうなところまで受け止め方を深めていかないと、本当の意味での人間性・人間関係というものが出来上がらないんではなかろうか、と。
 私が自分の人生のなかで2度ばかり死と向き合う状況――あるいは、ひょっとしたら私はこの世にもう居なかったという状況――を体験しておりますようにね……だからゆえにですね、死の方向を見つめている方々のことは気になって仕方がない。私はその時に生かして頂いた。ならば、私がお役に立つならば、同じ思いをした・同じ体験をした私としては、自らの命を絶とうとしている方がご縁があって私と出会うときがあるならば、「どうですか。あなたも一緒に生きませんか」という、そういう思いがする。それでそれはですね、私をやっぱりこの歳まで生かしてそしてこういう活動に向けさせて頂いたその原因というのは、私を救って下さった方々がいらっしゃったからなんで、やっぱりその方々へのご恩返しの意味も含めて、この活動は私が頂いた役目というか……続く限りは、あるいは続けさせて頂ける限りは対話の活動を根気よく続けていきたいというふうにずっと思っています。

ナレーション:1年に4回、寺で開かれる集まり「長寿院サンガ」。日頃は寺に縁がない人にも足を運んでもらおうと続けている恒例の行事です。サンガとは、サンスクリット語で「思いを同じくする人の集まり」という意味。その言葉どおり、楽しみも苦しみも共に分かち合う場にとの願いが込められています。
 音楽を楽しんだ後は食事会。寺の周りで獲れる山菜や野菜など、自然の恵みを分け合います。

(終わり)



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