山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(1 of 4)

※話者:山下良道(スダンマチャーラ比丘)
※とき・ところ:2009年8月23日 一法庵 日曜瞑想会
※出典:http://www.onedhamma.com/?p=522
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。

(途中まで略)

 それで今日は何を話したいかっていうと――まあこないだからの続きをずっとやってきているんだけれども――、今日は「奇跡を待ち望まない」という否定形の題にしましたけども、これは何の問題かというと、神秘体験の問題なんですよ。これはどういうことかっていうと、瞑想というとすぐに神秘体験の問題がつきまとうんだけども、ここにありとあらゆる問題点があって――まあその問題点は今からテキストを読みながら考えていきますけれども――、この問題点をはっきりしておかないと……もうはっきり言います、「第2のオウム」はすぐ起こります。

 これはこないだの接心中の、ポッドキャストではない個別の小さな法話のときにもお話ししたんだけれども……1995年に社会を揺るがしたカルト教団があるわけですよ。それで、「ああ、あの教団はもうカルトなんだ」っていうことは日本社会の常識になっているし、あるいはインターナショナルにももう完全に認定されちゃっているから、もう今さらそれについて疑いを持ったり、判断がぶれるということはまず無いと思うんですよ。それはもう一応、社会的なコンセンサスができちゃっているから。だけども問題はね、あの教団ではなくてまったく新しい教団ていうか教祖が我々の前にポッと現れたときに――だからその人はまだ社会的なコンセンサスとか全然無いですよ――、一瞬のうちに「ああ、これはちょっと、インチキだ」って見抜けるかどうか。それで私はここで何をやっているのかというと、この「一瞬のうちに見抜く眼力」ですね、それを皆さんに養って頂きたいと思っているんですよ。
 それでね、結局どういうことかっていうと、我々は神秘体験というものに非常に弱い。非常に憧れていってしまう。その問題は、あとからテキストを読みながら検討していくんですけれども。それで結局ね、これは私が1995年以来ずっと問題にしてきた点なんですけれども、今日はここをはっきりさせておきたいんですよ。そうじゃないと、色んな問題が起こる。まあ別に、第2のカルト教団が現れているとかそういう話ではないんだけれども、皆さんの修行そのものにとって非常に重要な点を持ってますから。
 それで結局どういうことかっていうと……先にざっと言いますとね、要するに私らは色んな心の痛み――心の傷――を持っているわけですよ。それで、その心の痛みから我々はなんとか解放されようとしているわけね。そういう色んな心の痛みを抱えている我々の前に、非常にカリスマティックな人が現れて、神秘体験についてペラペラペラペラ喋られると、我々は本当にイチコロなんですよ。じゃあなぜそんなにイチコロなのかっていったらば、その非常にカリスマティックで自信を持った人が神秘体験についてペラペラ喋ると、神秘体験そのものが非常にリアルに感じられて、「ようし、じゃあ、あの神秘体験の中に入っていきたい」って当然思うわけですよ。「それのどこがいけないの?」って当然思うわけですよ。
 まず第一に、そういう神秘体験に入ってゆけないという理由[=現状]があるわけね。そこで非常に複雑なことが行われて……どういうことが行われているかというと、心の痛みや心の傷を我々は見たくない[と思っている]。「そういうものを一気に忘れて、そういうものから一気に解放された或る場所――それが神秘体験の場所でもある――へ一気に飛んでいきたい」っていうような思考パターンに陥ったら、もうイチコロなんですよ。だけども、この考え方の根本的な誤りっていうのは、自分の心の色々な傷とかから目をそらすことになるでしょ。だから当然、瞑想もうまくいくわけがないんですよ。
 だから――ちょっと馬鹿なたとえを使いますけれどね――、我々が「虫歯で歯が痛くて痛くてたまらない」。そうなったらどうですか? もう虫歯のことなんて考えたくないじゃないですか。自分の歯を見て「ああ、ここがどうなっている」なんて、あんまり考えたくないわけですよ。それで、「虫歯の痛みから解放された、なにか特別な場所・神秘の場所へ一気に飛んでいきたい」と思う。だけどこれは根本的に矛盾しているんですよね。なぜかといったらば、いま自分がみじめなのは・苦しいのは虫歯があるからであって、その虫歯を無視しちゃって――虫歯という原因を解決しないで――、そこからの解放を願うっていうのは論理的にいっても無理だし、実際的にも無理なわけですよ。だけども、「虫歯っていう何とも辛い現実は見たくない」っていう思いが強すぎちゃって、ひたすらにこの「虫歯の現実」を無視しちゃって、ひたすら神秘体験を求める。それで、「その神秘体験をするメソッドを教えてくれ」っていう、結局たったこれだけのパターンなんですよ……身も蓋もない言い方をするとね。
 これの根本的な・致命的な欠陥というのは結局、この「虫歯」っていう自分の苦しみの原因から目をそらしているから、当然その原因が解決されることもなくて、原因が解決されないから苦しみも解決されなくて、苦しみが解決されないから心が自由じゃないから……だから、自由じゃない心を使って一生懸命にどんなメソッドを使って「なにか神秘体験をしてやるぞ」っていったって、当然無理ですよね。たったそれだけのことなんですよ。

(中略)

 だから、我々がまずやらなきゃいけないのは、その「虫歯の現実」をしっかり見ることなんですよ。だけども、「虫歯の現実」を見るということは、我々にとって最もやりたくないことなんですよ。そこで先生の問題が出てきて、「正しい先生」と「間違った先生」が出てきます。じゃあ正しい先生っていうのはどういう先生かというと、この「虫歯」を、「あなたのその奥歯のそこが虫喰っちゃってる。それが神経のところまで行っちゃってるよ」っていうようなことをきちんと指示して、それで「じゃあこういう治療をしなきゃだめだよ」ということを言う人。聞きたくないですよそんなことは……本人にとって、自分の「虫歯」のことは、一番聞きたくない話なんですよ。だから当然、本人はそういう先生を拒否するということはあり得るわけね。
 それに対して、「いやあ、そんなこと[=虫歯]は気にしないで、こういうことをしたらこういう神秘体験ができるよ」といってペラペラペラペラ喋るような先生だと、「ああ、もう『虫歯』のことは考えなくていいんだ」ということになって、そっちのほうへ一気に行くっていうことは当然あるんですよ。なぜかっていったらば、「虫歯」のことに触れないで、「虫歯」から解放された世界をペラペラペラペラ喋って、誘惑する……この誘惑に簡単に乗るっていうことは、もう分かっているから。
 だから、正しい先生というのは世の中で案外認められなくて……まあそうはいっても法王様やティク・ナット・ハンさんは完全に認められて、本当にたくさんの人が集まってきていますけども、でも同時に、カルトのわけの分からない人のところにものすごい数の人が集まっちゃうという現実もたしかにあるわけでね。なぜそうなのかは、結局いま言った理由からなんですよ。

(中略)

 本当に一番聞きたくないこと――でも、本当に正しいこと――をずけずけと指摘している先生がそれなりに尊敬されているっていう現実もあるから、それはそれで良い方向に行っているなあとは思うんだけれども、でも同時に、相も変わらずカルトの方向へ流れている人たちもたくさんいますから。そこらへんのところをもう一回見てほしいんですよ。
 それで今日はね、どうやったら「虫歯」が見れるかっていう話をあとからやります。だから結局、私らが一番見たくない自分自身の「虫歯」……それを見て、その「虫歯」の治療を一気に行うことによって「虫歯」の痛みや苦しみから解放されるという、実に当たり前なくらいに当たり前なことをやる。だけども、こんな当たり前のことを、みんな結構やらないんですよ。それで、まあ私らは仏教とかスピリチュアリティとかで、ありとあらゆる変なことを見るわけですけども、その変なことはどこから来ているかというと、自分の「虫歯」を見ないで、「虫歯」と向き合ってそれを治療していこう・解決していこうっていう地道な努力を一切やめちゃって、怠けちゃって、「なにか特別な先生に特別なことをしてもらったら一気に解決するんだ」とか、あるいは「こういうことをしたら一気に神秘体験ができて、一気に解決するんだ」とか……要するに、はっきり言って怠けちゃってるわけですよ。そういう怠けをしないで、もっと地道に問題の解決をしていくっていうことをやらなきゃいけないっていうことですね。
 この神秘体験の問題は、昔からずうっと問題になってきていて……私はもともと道元禅師の弟子だった人間だし、まあ道元禅師だけではなくてありとあらゆる本物の先生が本物のことを言っていますから。きょう紹介するのはその代表的なテキストですけども、これが一応、世界の基準なんですよ。だけど、私がその後びっくりしちゃったのは、この世界の歴史上のスタンダードになっている、こういう教え――神秘体験をどう扱うかということ――が、やっぱり全然共有されていないのね……驚くべきことに。だから、ありとあらゆるおかしなことが行われて、誰も「ああ、それはおかしい」って指摘しない。やっぱり今の日本の仏教もスピリチュアルのレベルも、そういう批判的な視点がちょっとかなり欠けているのでね、おかしなことがおかしなままに行われているのが当然多いですから。
 それで今日は道元禅師とか――あとでミラレパの紹介もしますけれども――、そういう仏教史上最高の先生たちがどういう教えをしているのかをそのテキストを読みながら考えて、その後で、我々の「虫歯」をどう扱うか[について説明します]。それを先週は「ハビット・エナジー」(habit energy)という言葉を使って説明しましたが、また別の言い方をすればこれは「ペインボディ」――これはエックハルト・トールさんの言葉ですけども――の話でね、ペインボディという「虫歯」が我々の中に巣くっていて、それをどう治療していくか――これは今のところエックハルト・トールさん以上に腕の立つ歯医者さんはいないと思うんですけどもね――ということを見ていきたいと思います。

2 of 4へ続く