山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(3 of 4)

※話者:山下良道(スダンマチャーラ比丘)
※とき・ところ:2009年8月23日 一法庵 日曜瞑想会
※出典:http://www.onedhamma.com/?p=522
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。

2 of 4からの続きです。先頭はこちら。)

 今の道元禅師のお話は、いちばん基本線ですよ。要するに我々は、エゴのために修行するのではないということね。この基本線を、けっこう我々は忘れるのね。というか私らはこれを二十歳の頃から頭に叩き込まれた人間だから、我々にとってこれが基本なんですよ。だからこれを何回も何回も言われ続けて、エゴ(吾我)のために修行することをなんとか点検するというか、そういうことをずっとしてきたわけなんですよ。だけど、そういう基本訓練というか基本的な常識無しにいきなり――さっきずっと言ったような「ビジネスの中でメソッド流行りで、『こういうことをしたらこうなる』というノリのままに」――瞑想の世界に来ちゃって「瞑想メソッド」というものに出会っちゃうとね、「こうすればこうなる」というノリで瞑想を始めちゃうんだけども、当然、はね返されちゃうわけですよ。それだからこそ、「はね返される」っていうことはとてつもなく素晴らしいことなんですよ。だから、今このポッドキャストを聞きながら「自分は瞑想がまったくうまくいかないんだ」という人たちは、やっぱり正しい道に立っています。大丈夫。これで下手に瞑想がうまくいっちゃったらね、そのほうが私は恐いんですよ、本当に。エゴのままに修行して、そのままに神秘体験なんかしちゃったらね、これ本当にとんでもないことになるんですよ。だから皆さんがウンともスンともぜんぜん瞑想がうまくいっていないっていうのは、非常に正しい道を皆さんは歩いています。だけどまあ、もちろんそれだけじゃだめだから。そこにすべての鍵があるからね……皆さんの瞑想がぜんぜんうまくいっていないっていうその場所にね。だからそこを今から掘り下げて、これから今から新しい扉を開けましょう。

 私はこの『正法眼蔵随聞記』の第五の二(参照)を2年前くらいに皆にメールで配ったことがあるんですよ。そうしたらインドの方からレスポンスが来て、ミラレパの詩をレスポンスして下さった。このミラレパっていう人はまあ説明するまでもないけども、12世紀――11世紀かな――チベットの偉大な瞑想者ですけども。だから、神秘体験なんていったら、はっきり言えばこの人は空飛んでた人ですからね(笑)。空飛んでた人だから、神秘体験どころの話ではないんですよ。空中にちょこっと浮かぶどころか、空飛んでたんですよこの人は。だけど、口が裂けたって「俺は空を飛んでるぞ」なんて言うはずがない人なのね。だからこれはチベット仏教のすべての人たちによって最高に尊敬されている人――だから人類史上最高の瞑想者の1人――ですけども、この人が自分の神秘体験を自慢するということはあり得ない。
 それでどういうことを仰っているかというと……この人はたくさんの教えを残しているんですよ。それをお弟子さんたちが筆記して色んな詩の形にしたりとか色々して、英語でもたくさん翻訳あるし――もちろんチベット語でも全部残っているけど――日本語でもありますよね。その日本語の翻訳はどの程度がちょっと分からないけども、まあちょっと参考になると思うからね。サッと見ていきましょうかね。

わがグル、慈悲者に頂礼す。願わくは御身の慈悲の波を授け、行者のわれに快く瞑想させたまえ。
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 それでこの後ね、「こういうことをしちゃいけないよ」ということが出てきます。

一人でひっそりと住むときは
街の楽しみを考えるのではない
さもなくば心に邪悪なものが現れよう
心を内に向けよう
さすればお前たちは道を見つけよう
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 いいですね? 要するに、一人で修行しているときは、なにか街の楽しみのことを色々考えてはいけない。これはまあ分かると思いますけども。それで次ね。

忍耐と決意をもって瞑想するときは
輪廻(サムサーラ)の邪悪なものや死の不確かさ(いつ死ぬかわからないということ)を思い浮かべる
世間の快楽への渇望(執着)を避けよう
さすれば勇気と忍耐が心に芽生え
お前たちは道を見つけよう。
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 これはまあ要するに忍耐と決意ね。これはテーラヴァーダもよく言うし。そして、「サムサーラがどれほど苦しいものなのか、そして『いつ死ぬか分からない』ということを考えて、しっかり修行しよう」。これはもうまったく、テーラヴァーダの先生と仰ることは同じですね。まあ当たり前だけどね。ブッダの教えなんだから。

修行の深遠な教えを懇願するときは
学識を望み学者になろうとするでない
さもなくば世間の仕事や欲望が力を奮い
その生涯は浪費されてしまうであろう
慎ましく謙遜であれ
さすればお前たちは道を見つけよう
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 要するにね、仏教を勉強するといったって、色んな本を読むわけですよ……今だって語学も勉強しなきゃいけないし。だけどそういうものはすべて、自分が解放されるための手段じゃないですか……修行の方法も分からなくちゃいけないんだし、ブッダの教えも分からなくちゃいけないんだし。だけどいつの間にか、なにか知識を蓄えて学識を蓄えることが目的となってしまって、本末転倒なことが当然起こってきてしまうんですよ。だから、そういうことをすべて忘れて純粋に勉強しなきゃいけないよっていうことですね。
 そしてね、次がすごいんですよ。これはもう瞑想のことだから。

瞑想において様々な体験が生起するとき
得意になって吹聴するではない
さもなくば女神や母なる神をかき乱そう
惑わず瞑想せよ
さすればお前たちは道を見つけよう
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 いいですね? だから、瞑想しているときに当然いろんなことが起こってくるわけですよ。今まで見えなかったものが見えたり、心が静まって色んな深いところに入っていくにつれて色んなことが起こるに決まっています。だけども、「やったよー。ついに見たよ」とか喋りまくるんですよ我々は。その喋りまくる中に当然、プライドだとか色んなネガティブなものが全部入ってきますしね……だから「そういうすごい体験をした偉い俺」っていうね。まあいつものパターンですけども。
 だから、瞑想のときに色んな深い体験をするのは当たり前であって……そうなんだけども、その深い体験をペラペラペラペラ吹聴するというのは基本的にはしないっていうのが仏教の常識なんですよ。これは基本のキで、“A, B, C”のAなんですよ……例えばこのミラレパのようなチベットの正統的な瞑想の流れの中にいる人にとっては。あるいはこういう道元禅師門下の人間にとっては。そうなんだけども、この基本のキ――“A, B, C”のA――が案外と守られていなくて、それで私、正直言ってびっくりしたんですよ。「それちょっと、ルール違反じゃないの?」ってね。
 これが基本なのね。だから私は、「神秘体験が無い」なんてそんな馬鹿なことを言っているわけじゃないですよ。当然私らが瞑想が深くなっていったら、今まで見えなかったことが当然見えてくるし、心っていうのは本当にレイヤー状態になっていてね、我々はこれしか見えていないけども、ちょっと破っていけばどんどんどんどん色んな層――レイヤー――があって、そこには私らが表面的な意識にとどまっていては見えないものが見えるっていうのは当たり前じゃないですか。だけど、そんなことをいちいちペラペラペラペラ喋ったり自慢げにするっていうのは基本的にルール違反なんですよ。それで、これがルール違反だということが案外と共有されていないっていうことが、私ちょっとびっくりしちゃった。
 それでこういうミラレパとか道元禅師とか、日本仏教、あるいはチベット仏教を代表する先生たちがもう、こうやってはっきりと仰っているわけですよ。だからこれが仏教のグローバル・スタンダードですから、これをグローバル・スタンダードとして見てくださいね。
 それで次も面白いんですね。グルの点ですね。

グルに従うときは
グルの美点や欠点を捜すべきではない
さもなくば山ほどの欠点を見つけてしまおう
だが、ただ誠実と忠実さによって
お前たちは道を見つけよう。
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 だからこれは、欠点だけじゃなくて美点も見つけるなと言っているわけですよ。これはどういうことかっていうとね、グル――先生――っていったってやっぱり1人の人間であることは当たり前だ。1人の人間であるかぎりは肉体を持っていて、私らが「水平」と「垂直」って言ったらば、グルは「水平」のレベルを生きてもいるわけですよ……当然ね。だけど、そのなかでどんなに美点や欠点を探したって、先生の先生たる所以は見つかるわけがないんですよ。それで我々は先生のなかに何を見なきゃいけないかっていったらば、もちろんその「垂直」の次元のことですね。ただ、本当の先生……ダライ・ラマ法王――ダライ・ラマ法王だって我々と同じ肉体を持ってね、去年か胆石か何かで手術してますけどね、だから我々と同じ、つねれば痛い肉体を持っているわけですよ――ぐらいの人になると、もうそれはあんまり感じさせないで、本当にもうなにか慈悲がそのまま人間となっていることを感じているわけね。だけども、法王様のいちばん純粋なエッセンスの部分はやっぱりそういうところ――「垂直」の次元――にしか見つからないということですね。

法の兄弟姉妹と聖なる集会に連なるときは
先に立つことを考えるでない
さもなくば憎悪と渇望を引き起こし、戒律に背こう
己を調和させ、互いを理解し合え
さすればお前たちは道を見つけよう
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 要するにね、修行の仲間たちですよ。今度はグルじゃなくて仲間たちね。それとか色んな集会とかあるいは瞑想会とか、お寺とかあるじゃないですか。そこでなにか「先に立つ」……要するになにか「俺が偉いんだ」というふうにして、やる。そうするともう、ありとあらゆる憎しみとかなにかを引き起こしてしまうということですね。
 それで次はお布施のことなんだけどね、

村でお布施を乞うときには
偽りや搾取のために法を利用するでない
さもなくば悪趣*1へと己を陥らせよう
正直で誠実であれ
さすればお前たちは道を見つけよう
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 だから、まあチベットなんかでも何かひどいお坊さんも居たっていう色んなエピソードを聞くじゃないですか……村人から何か取り上げちゃってね。だから、お坊さんのような立場の人がちょっと間違えば、搾取する立場になってしまう。それをいま、戒めているわけですね。
 そしてね、最後が……これがすごくて、

何にもまして覚えておくことは
いかなるときでも決して思い上がり己を自慢してはならぬ
さもなくば自尊心がいばりちらし、偽善を積みすぎてしまおう
偽りと虚飾を放棄するなら
お前たちは道を見つけよう
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 結局、自慢ということになるのか。要するにいちばん大事な[放棄すべき]ことは、思い上がって己を自慢すること――要するに自尊心。これは悪い意味でですよ。「俺が偉いんだ」っていうこと――ですね。これをやると偽善を積みすぎて、偽りと虚飾が積み重なってしまうから、だからそれを放棄していかなきゃいけない。
 そして最終的にはどういうことになるかというと、これはもうすごいですね、

道を見つけた者は
慈悲深き教えを人びとに伝え
こうして自と他を救う
与えることが、そのとき彼の心に残る唯一の思い
『ミラレパの十万歌―チベット密教の至宝』

 まあ、それは当然そうですね。ミラレパもそうだったと思いますけども。とにかく、本当のことが分かったら、あとはなんとかして人々を救っていきたいという思い……それだけしか残らない。“compassion”しか残らない。
 それはね――もうこれは普段何回も言うけども――、まあ実際にそういう人に会わないとなかなか分からないんですよ。だけど、法王様やティク・ナット・ハンさんみたいな人に会うと……本当にこの人たちは一切の生きとし生けるものが苦しみから解放されるっていうことしか考えていない。そのためだけにすべての行動をしている……24時間。
 だけど大部分[のインチキな人]だと、ダルマをビジネスにしちゃうじゃないですか。ダルマビジネスにして、お金儲けてそれで楽をしようっていうのがほとんどで。だからそういうお坊さんしか知らないと「そんなもんか」と思うけども……まあポッドキャストを聞いている人で色んな失望をしてきた人は多いと思うんですよ。それだからこそ、本当の先生たち――法王様とかティク・ナット・ハンさんとか、もう亡くなっちゃったけど内山興正老師とかという人――に会うことが非常に大事だから、ぜひなんとかしてそういう先生に会うようにしてみて下さい。
 それで、さっきの[正法眼蔵随聞記の引用文]は非常にちょっと抽象的に「自分のために修行するんじゃないよ。自分を捨てて仏法に任せて修行するんだよ」ということを仰っていたけども、今のこのミラレパの教えだとね、もうちょっと具体的になったかと思います。

4 of 4へ続く)

*1:「悪趣」は地獄、餓鬼、畜生のこと。