山下良道法話:「仏女と仏男の方々への招待状」(1 of 4)

※話者:山下良道(スダンマチャーラ比丘)
※とき・ところ:2009年10月18日 一法庵 日曜瞑想会
※出典:http://www.onedhamma.com/?p=538
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。

(途中まで略)

 今日の題をメールで予告しましたけれども、今日の題は「仏女と仏男の方々への招待状」として下さい。よくご存知のように、「仏女」という言葉を最近よく見かけるんですよ。私も、仏女って何なんだろうと思っていたら……仏女っていうのは仏像を鑑賞するのが好きな女性たちで、お寺へ行ったりね……こないだ阿修羅展が上野で開かれて、ものすごい人出だったみたいですけども。だからそういう、仏像が大好きでお寺をお参りする女性たちを仏女っていっているみたいで。「仏男」っていうのは言葉としては無いんでしょう?(笑) 無いと思うんだけど……女性だけだと片手落ちなので私が勝手に作ったんですけどね。

 だから何を言いたいかというと、いま漠然と「ああ、仏像っていいな」とか「ああ、お寺っていいな」とか思って鎌倉とか京都に行かれる人は非常に多いんですよ。私自身が鎌倉に住んでるからそれは分かるんだけども、それプラス、今週に京都に行って、京都の代表的な観光地をずっと見て、そして実際にそういう方々がたくさんいらしたんでね。あらためて「ああ、本当にそうなんだなあ」ってね。まあ大原ですからね……大原ですから、そりゃ仏女の人たちの聖地だと思いますけども、大量にお会いして。(中略)それで私もいろんなことを考えたので……ですから今日の趣旨は、漠然と「仏像っていいな」、「お寺を訪ねると何か心が落ち着くなあ」という感じで鎌倉とか京都とかに来られている女性と男性の方に「一歩進めて」頂きたくて、その一歩進める方向への――「方向からの」と言うのかな――招待状を私のほうでお渡しして……。ですからまあ、(中略)仏像を鑑賞するだけじゃなくて「そこからもう一歩進められてはいかがですか?」という、そういう話をしていきたいと思います。
 まず京都の話からしていきますと、(中略)大原の勝林院というところと、その隣の三千院に行きました。永六輔さんは「恋に疲れた女が行く場所」って勝手に歌ってますけども、だけど私が出会ったのは恋に疲れた女性じゃなくてやっぱり仏女に出会いましてね。一昔前だったら、何かそういう恋愛に疲れちゃった女性が――失恋か何かしてね――大原に行って慰められて、また戻って人生やり直すっていうパターンが多かったんでしょうし。まあそれは永六輔さんの妄想かもしれないけども。だけども今はね、もうそういうレベルの話ではないわけですよ。要するに、「自分の普段の生活があって、それにちょっと疲れちゃって、それで仏像を観る。阿修羅の展覧会に行く。あるいは京都までわざわざ行って色んなお寺を見て。特に大原は洛北の非常に感じのいい所ですから、三千院へ行って……」。それは非常にいいんだけども、単なる息抜きだとか単なる癒しだとかそういうレベルではなくて、もう皆が「もう一歩先へ進みたい」っていうようなものが今起こりつつあると私は思っているんですよ。
 これはどういうことかというと、――永六輔さんの悪口を言いたいわけじゃないんだけども――、一昔前だったら、いわゆる日常の生活やあるいは「世間」というものがしっかりあって、そこで普通に生きていくのが普通の人間のあり方であって、それでもちょっと疲れるから時々は息抜きをして――[例えば]京都の大原の三千院へ行って息抜きをして――それでまた戻ってくるというあり方じゃないですか。だけど今の時代はもう、そうじゃないんですよね。「そうじゃない」ということを、いま皆が漠然と感じているはずなんですよ。なにも、単に失恋して恋に疲れたから大原の三千院へ行くなんていう、そんなことじゃなくて、もっと全然違う、もう一歩進めたレベルで皆が何かを求め始めている。それが今日の主題なんだけども、その求めている人たち自身――仏女あるいは仏男の人たち自身――が、「自分が何を求めているのか。それをどうやって求めたらいいのか」がハッキリしないから、「しょうがないから、まあちょっとオーソドックスに大原へ行きましょう、三千院へ行きましょう」とか、あるいは「阿修羅の展覧会を観に行きましょう」というような行動をなさっているのかもしれない。だけども、その皆さんが本当にほしいのは・皆さんが本当に求めているのは、単に大原の三千院に行って、きれいなお庭を見ながらお抹茶を飲むことではなくてね――まあ私もそれをやったんだけども(笑)――、あるいは上野の博物館へ行って「ああ、阿修羅っていいなあ」と思う――それも良いですよ――ことではなくて、やっぱりそれを通して何かを求めているはずなんですよ。だけどその「何か」というのが今ひとつハッキリしないから、その求め方も分からないし、それが分からないから、せいぜい今のところは、すでに分かっている大原三千院に行くとか上野の博物館へ阿修羅展を観に行くとか、そういうような行動しかできていない。だけども私が仏女の人たちにお訊ねしたいのは「皆さんがほんとうに求めているのは、もうちょっと深いことでしょう?」ということなんですよ。その「もうちょっと深いこと」は一体どういうことなのか、そしてそれをどうやって求めたらいいのかというようなことを今日はお話できたらいいなと思うんですけれどね。そうすれば、いま日本全国にいらっしゃる仏女と仏男の方々にも届いて、それで「ああ、自分は今まで仏像の鑑賞をずっとやってきて、それで或る意味では満足してきたけれども、私が本当に求めていたのは単に仏像を鑑賞することではなくて、色々な仏様のお姿を見た時にそこに何かを本当に感じたんだけれども、本当に感じたその何かをもっと深めていく方法がある」[ということも分かって頂ける]。それはただ単に大原の三千院を訪ねるとか上野の博物館を訪ねる以上のことがね。だから私は、何も三千院を訪ねちゃいけないとか博物館を訪ねるのは無意味だとかそんな馬鹿なことを言っているわけじゃなくて――だって私自身も行ってるわけだし――、その上でもう一歩進める方向・方法を今日はお話したいと思ってます。

(中略)

 それで、まあ結論から言っちゃうと、仏女と仏男の人たちが求めているのは――単に仏像を観ることではなくて、単にお寺へ行くことではなくて――「新しい意識」以外の何ものでもないわけですよ。だから、そこを皆さんは自覚してほしいんですよ。皆さんが求めているのは仏像とかではなくて、「新しい意識」なんですよ。じゃあ仏像と「新しい意識」に関係は……有るに決まってるじゃないですか(笑)。それはもちろん、「新しい意識」が形となって現れたのが仏像だからなんですよ。たったそれだけのことなんですよ。だから、私自身もここのところの整理がはっきりついていなくて、今回、大原でけっこう整理がついちゃったんですよ。ですから、まずそこらへんの整理をしてから、話をいつも通り進めていきたいと思います。

2 of 4へ続く)