道元 の検索結果:

『〈仏教3.0〉を哲学する』第一章の読書ノートとコメント

…修行であって、それは道元が言うところの「習禅」であり、『六祖壇経』が批判した修行のあり方であると藤田氏は考えている(22-24頁)。藤田氏は、やや後続の92-93頁でも、瞑想のメソッドを一生懸命にできたかできないかということを見ている「私」が残ってしまうという例がアメリカでは少なくないと述べている。ただし全員がそうなるわけでもないという。 修行者が熱心であっても、それは必ずしも仏教的にOKということでもないという視点を藤田氏は禅から得ており、「どっちを向いて何が主体で熱心にや…

『〈仏教3.0〉を哲学する』出版のお知らせと関連リンク

…しまうでしょうから。道元に源泉があるかどうかは今後研究します。今のところ私はないと思っています。— 永井均 (@hitoshinagai1) 2016年9月21日 仏教はマインドレスかつマインドフルです。正確にいうとマインドレスであることによって(のみ)マインドフルであることができるというのが仏教の教えです。拙共著『仏教3.0を哲学する』は冒頭で藤田一照師がその点を説明され全体もまさにそのことを議論しています。ご覧いただけると有難いです。 https://t.co/uRH6d…

藤田一照・山下良道『アップデートする仏教』(幻冬舎)刊行のお知らせと関連リンク

…本仏教に再導入する!道元禅師からお釈迦さまと繋がる日本仏教はブッダと直接繋がっているのか?第四章 「瞑想メソッド」を超えるテーラワーダの瞑想とは何か非想非非想処に実際に入る体の中で体を見るニルヴァーナの状態に入る青空を認識できるのは青空お猿さんは瞑想などできない「思いを手放す」ことがどうしてもできない自然な息と普通の息エゴの反対としての慈悲慈悲の瞑想との出会い慈悲の瞑想は必要なのか「わたしが幸せでありますように」の衝撃潜在意識に働きかける「わたしの嫌いな人々が幸せでありますよ…

山下良道法話:「自分というなまの現実」(1 of 2)

…題にしていることと、道元禅師が問題にしていることと、「ダルマがうまくはたらかない」ということとが、全部結局おなじ問題だということが、だんだんと見えてきて。そしてそれと、今ここで我々が何をしようとしているのかというあたりのことがようやく繋がってきたかなあという気がしているんですよ。 内田樹さんがある講演をして、そのタイトルが「日本の人文科学に明日はあるか」というものだったんですよ。なぜそういう講演をしたかというと、日本の人文科学には明日がないんじゃないかという危機感の裏返しとし…

山下良道法話:「自分というなまの現実」(2 of 2)

…と、そうでもなくて、道元禅師のころからの問題でもあるんですよ。(中略)ある人が[道元禅師に]質問してきたのね。[それは、この法話で扱ったことと]まったく同じ質問なんですよ。いわく、「自分はもう長いこと坐禅をしてきた」。あるいは「仏道をしてきた」。何年間とは書いていないけど、まあ10年、20年、30年になるんでしょうけどもね。だけど、「いまだ省悟の分あらず」……「まだ何も悟っていない。『何かが本当に分かった』ということが、ピンとこない」。そして、「仏道というのは頭の良し悪しで[…

山下良道法話:「坐禅入門 - 無所得ということ」(1 of 2)

…坐禅といったら、私は道元門下の人間だったので――というか、今でもそうなんだけど――、やっぱり『正法眼蔵随聞記』ですね。『正法眼蔵随聞記』に、非常に大事な2つの章があって、今日はそれをていねいに読んでいきたいと思います。そうなんだけども、なぜいきなりそうなのかというと、もちろん色んな理由があって……。そうですね、そこいらへんからきちんと説明していかないと。 一法庵ではね、ポッドキャストのリスナーからメールを幾つか貰って、(中略)今週はちょっと、重要な2つのメールを頂いたんですよ…

山下良道法話:「坐禅入門 - 無所得ということ」(2 of 2)

…=この法話の内容]を道元禅師は問題にしているのよ。びっくりするよこれは。 これは『正法眼蔵随聞記』の第二ですね。『正法眼蔵随聞記』というのは6つのチャプター(章)に分かれているんです。これは2番目のチャプターですね。それの、二十二番。(中略) 因みに問うて曰く、学人若し(もし)自己これ仏法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向来の修行参学を放下して、本性に任せて善悪の業をなして一期を過ごさん、此の見解いかん。 (『正法眼蔵随聞記』第二の二二) 上記の引用文…

山下良道法話:「仏女と仏男の方々への招待状」(2 of 4)

…るいは私らなんかだと道元禅師という人が正法眼蔵というものを、もう何が何だかわけの分からない言葉で書かれているわけですよ。それは、もう何とかしてこの「新しい意識」を描写しようということだったわけですよ。だから、そこをまず本当に理解しないと……それで、いま私が言っていることによって、仏教だけじゃなくてすべての宗教のテキストの根本的な問題点と、それをどうやって読むのかのヒントが分かるわけですよ。(中略) じゃあどう読むのか。「古い言語」というのは、そのまま使うと必ず「古い意識」の奴…

山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(1 of 4)

…いて……私はもともと道元禅師の弟子だった人間だし、まあ道元禅師だけではなくてありとあらゆる本物の先生が本物のことを言っていますから。きょう紹介するのはその代表的なテキストですけども、これが一応、世界の基準なんですよ。だけど、私がその後びっくりしちゃったのは、この世界の歴史上のスタンダードになっている、こういう教え――神秘体験をどう扱うかということ――が、やっぱり全然共有されていないのね……驚くべきことに。だから、ありとあらゆるおかしなことが行われて、誰も「ああ、それはおかしい…

山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(2 of 4)

…いきましょう。まずは道元禅師ですね。『正法眼蔵随聞記』の、岩波文庫だと第五の二ですね。 先週は接心中だったので、6人から7人くらいがここで寝泊まりして――まあ昼間だけの参加者もいますけども――、一応、団体生活が6日間続くんですけども、そのことの意味が昔から言われているんですけども、それがどういうことかを見ていきましょう。 示して云く、学道の人は吾我の為に仏法を学すことなかれ。只仏法の為に仏法を学すべきなり。其の故実は我が心身を一物ものこさず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり…

山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(3 of 4)

…頭はこちら。) 今の道元禅師のお話は、いちばん基本線ですよ。要するに我々は、エゴのために修行するのではないということね。この基本線を、けっこう我々は忘れるのね。というか私らはこれを二十歳の頃から頭に叩き込まれた人間だから、我々にとってこれが基本なんですよ。だからこれを何回も何回も言われ続けて、エゴ(吾我)のために修行することをなんとか点検するというか、そういうことをずっとしてきたわけなんですよ。だけど、そういう基本訓練というか基本的な常識無しにいきなり――さっきずっと言ったよ…

山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(4 of 4)

…かもしれないけども、道元禅師は道元禅師でまったく同じことを仰っていますから。ミラレパも道元禅師もまったく同じことですからね。それを基本のキにしましょう。いいですか? そのうえで、なぜ我々[=瞑想をしようとする多くの人]があんなにも神秘体験というものにイチコロに参っていたのかっていったらばね、結局その「自分が非常に辛い。非常に苦しい」。その苦しみの原因があるのに――苦しみの原因を見るのは非常に辛いことじゃないですか――それを見ないで、一気になにかそれを解決してくれる神秘体験とい…

NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:篠原鋭一インタビュー「いのち 人と人の間に」(1 of 2)

…―私は曹洞宗ですから道元禅師や瑩山禅師――がお説きになっている様々な説示――お示し――はですね、亡くなった人には説いていない。生きているかたに向かって説かれたものであるという確信がずうっと大きくなってきまして。そしてもし私がお寺をお預かりできるようなことがあったら、「やっぱりお寺というものは生きているときに来るところであって、死んでからでは遅いんですよ」と。「人間の生き方――穏やかな人生、幸せな人生――を続けていく……そういうための羅針盤なんじゃないか。その羅針盤をお伝えする…

NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(1 of 3)

…内は南氏の著書または道元『正法眼蔵』からの引用分。[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。ナレーション:本州の最北端・津軽海峡に突き出た津軽半島の中央に広がる青森県むつ市。今日は、市の中心部から西北へおよそ15kmの道を登ったところにある恐山菩提寺に、院代の南直哉さんをお訪ねして、お話を伺います。 夏の大祭や秋の祭りには大勢の参拝者で賑わう恐山も、山を閉める直前の今の季節には静まりかえって、河口湖である宇曽利湖の向こう岸に、菩提寺の建物が見えてい…

NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(2 of 3)

…内は南氏の著書または道元『正法眼蔵』からの引用分。[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。(1 of 3からの続き)金光:今のその「分からない」という「非己」の話からの連想でお伺いするんですけれども、今までの話と今日おうかがいしている恐山――この恐山という場所は昔からの伝統的な聖地といいますかまあ死者との交流ができる場所というようなことで、お釈迦さんの仏法とはちょっと関係がない……むしろ日本の伝統的な昔からの一種の霊山信仰というかそういう場所だと…

NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(3 of 3)

…内は南氏の著書または道元『正法眼蔵』からの引用分。[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。(2 of 3からの続き)金光:それであの、日本人の生き方として「もっと自己を独立自存させて、主体性を持って……」という発言があるわけですが、[南さんが]主体性についてお書きになったものがあったのでそれをちょっとご紹介させて頂くとですね……《自分の存在に縁起を自覚しつつ、その縁起から生成されてくる様々な事態を因果関係のなかで「自分」に編成していくこと。私はそ…

南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(2 of 5)

…るんですね。おそらく道元禅師もそうだったと思いますが、座禅の修行というものが日常の有り様――「日々是好日」って言いますが、つまり日常生活――のなかに真理を見ようといったときに考えているのはそういうことだろうと思う。茂木:彼岸というか――「極楽のビジョンを見ていた人はそういう必要性があったから見たんだろう」っていう話をさっき控え室でしましたが、釈迦来迎図なんかがありますよね――ああいうものがもし「永遠」というか「無限」だとすると、そういうものは脳の仕組みとしてはたしかに「瞬間」…

南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(3 of 5)

…しないんです。だから道元禅師は作法って言うんです。(中略)南:行いの有り様が人の有り様を決めるんです。古い教説で「田を耕す人が百姓だ。ものを売る人が商人だ」っていうんです。つまり、行いが人を決める。立派な行いをする人がブッダなんだというんです。つまり、或るものが「或るものである」のは、その人の過去の行いなり今の行いでそうなっているのだと考えるんです。 つまり業(ごう)というのはいわば実存で、実存とは行為的人間――行為によって実存するもの――と言い換えてもいいと思う。私は業の概…

南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(4 of 5)

…鎌倉仏教――親鸞とか道元とか法然とかあの時代――のお坊さんは、「ありのままで美しくて、ありのままで結構で、罪障はなんとなく消えていく」なんていうことを言っていないんです。質問者2:真如とは何ですか?南:仏教ではタターガタと言いますが、如来というのと同じような意味です。「真の如し」――真理のようなもの――という意味なんですよ。教学的にはね。 仏教は一神教じゃないですから、「これが真理だ」ということを断定しないんです。「のようなもの」という言い方をします。しかしながら、そういうと…

ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(4 of 5)

…ね。 宮崎:親鸞や、道元や、日蓮といった人たちですね。 南:そうです。あの時代ですね。あの時代に出てきたあの人たちがたぶん日本の歴史上空前絶後の普遍的な理念……もっと言えば「個が個を自覚する」ということを可能にする理念を提出した唯一の思想家群だと思うんですね。 ところが今、状況は同じで、そういうものが要るんじゃないかと思いますね。もし共同体を作るんだったら何をテコにするかといったときに、「宗教だけ」だとは言えないと私は思いますが、私はお坊さんですからあえて言えば、仏教の或る部…

このブログで言及された本

…及した記事を見る] 道元正法眼蔵随聞記 [言及した記事を見る] ミラレパミラレパの十万歌―チベット密教の至宝 [言及した記事を見る] エックハルト・トールThe Power Of Now: A Guide To Spiritual Enlightenment [言及した記事を見る] エックハルト・トールさとりをひらくと人生はシンプルで楽になる [言及した記事を見る] 南直哉なぜこんなに生きにくいのか [言及した記事を見る] 南直哉老師と少年 [言及した記事を見る] チョギャム…