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永井均さんの瞑想論・マインドフルネス論・仏教論の簡易な読書案内

…:『サンガジャパン Vol.17』(サンガ、2014年) 蓑輪顕量監修『別冊サンガジャパン1 実践! 仏教瞑想ガイドブック』(サンガ、2014年)にも所収。 香山リカ『マインドフルネス最前線』(サンガ、2015年)にも所収。 「自己ぎりの自己とその蔓」 初出:『añjali』第30号(親鸞仏教センター、2015年) サンガのウェブサイトにも掲載。 『存在と時間――哲学探求1』(文藝春秋、2016年)の第6章「〈私〉の分裂からカントの超越論的統覚・サルトルの前反省的自己意識をへ…

『〈仏教3.0〉を哲学する』第二章の読書ノートとコメント

…る「サンガジャパン Vol.19」(サンガ、2014年)の137頁に、それらしき記述がある(同対談は、香山リカ『マインドフルネス最前線』にも所収)。 永井氏はこの問いに対して「それはあるんですけども」と肯定しているが、同時に永井氏は、自身の哲学(その中でも特に本書で述べておられるような内容の哲学を指すのだろう)は仏教の考え方ではないと述べている。永井氏は、永井哲学(または永井哲学が仏教の瞑想を助けたという永井氏らの認識)が「仏教から見てどうなのかっていうことは本当は謎で、その…

『〈仏教3.0〉を哲学する』第一章の読書ノートとコメント

…の「サンガジャパン Vol.17」(サンガ、2014年)の138-140頁から引用する。下線部は原文では傍点付き。 永井 僕は、「私とは何か」っていう問題をずっと考えていて、瞑想と関係する限りで簡単に説明すると、「私」には二種類の意味があるんですよ。一つは、まず、他の人々からさまざまな特徴によって区別された永井均という人がいて、人々は彼を永井さんとか均ちゃんとか呼ぶけど、自分で呼ぶ場合には、言語規則に従って「私」と呼び、「私」ととらえる、ということです。永井均という人は、他の…

ニュースの深層evolution:「なぜこんなに生きにくいのか」(4 of 5)

※話者:南直哉(みなみじきさい/禅僧)、宮崎哲弥、波多野健 ※放送日:2008年12月10日※〈3 of 5〉からの続きです。先頭はこちら。音声の全体を通して聴きたいときはこちらをご参照ください。※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。波多野:それであれば、自殺という選択肢もあると思うんですけれども……。 南:だから、自己破壊の仕方として直接に自殺をするか、あるいは社会に敵意を向けるかというのは紙一重のことだと思います。ただね、自殺する人間は「…

このブログで言及された本

…る サンガジャパン Vol.31 [言及した記事を見る] 西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ [言及した記事を見る] サンガジャパン Vol.26 [言及した記事を見る] añjali 第30号 [言及した記事を見る] サンガジャパン Vol.17 [言及した記事を見る] サンガジャパンVol.30 [言及した記事を見る] 藤田一照・永井均・山下良道〈仏教3.0〉を哲学する [言及した記事を見る] 内山興正坐禅の意味と実際 [言及した記事を見る] 内山興正進みと安らい …