NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:篠原鋭一インタビュー「いのち 人と人の間に」(1 of 2)

※話者:篠原鋭一(千葉県成田市曹洞宗春岩山長寿院住職)、山田誠浩(ききて)
※放送日:2009年6月1日
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。

ナレーション:誰もが抱える、人生の苦悩。住職の篠原鋭一さんは、その苦悩と向き合い続けてきました。
 「慈悲」の「慈」とは、安楽を与えること。そして「悲」とは、苦を取り除くこと。その言葉の実践を目指す篠原さんのもとには、自殺を考える人の相談が相次いでいます。その数は、これまでに3000を超えています。
 篠原さんが、千葉県成田市にあるこの寺の住職になったのは、21年前のことでした。当時、長く住職が住まなかった寺は、荒れ果てていました。篠原さんは、四季折々の花が咲くよう木々を植え、新しい寺をつくろうとしてきました。人々が生きていくために役立つ場所にしたいという思いからでした。
 自殺の相談を受けるようになったのは、17年ほど前のことです。ゆっくりと話ができるようにと、本堂の傍らに造った部屋。境内の花を飾り、相談に訪れる人を待ちます。篠原さんは、座った人の目の高さに蓮を描き、裏山の自然が窓いっぱいに広がるようにこの部屋を造りました。
 死を思うまでに追いつめられた人からの電話は、昼夜を問わず全国から架かってきます。精神科や心療内科を受診している人も少なくありません。皆、複雑に絡み合った重荷を背負っています。

山田:このお庭は今ちょうど緑に芽吹きが重なって様々な色をしていますですよね。

篠原:そうですね。私のお寺ではこの部屋がいちばん自然を感ずる部屋なんで、私自身もおいでになる方々もとても喜んで頂ける部屋なんですね。四季折々の変化がきちっと分かりますから。

山田:それでは、いらっしゃった方とはここでお話をなさる。

篠原:そうです。もう、ここに決めてます。やっぱり大都会……騒音の中からこの静けさの中においでになって、しばらくの間じっとこう自然を見つめておいでになりますよ。

山田:ああ……そうですよねえ。

篠原:自然を見つめて、長い方は一時間くらい、ただ沈黙のままにじっとされておりますけれども、ふっと出てくる言葉がまさに「ほっとしました」とか「ほっとします」ということを仰るんですよね。
 私をお訪ねになる方々というのは自ら命を絶ちたいというふうなお気持ちのある方々なんですが、その方々がここに身を置いて、「ほっとします」と仰ってくださった時は、実は私もほっとするんですね。

山田:そうなんですか。
 まあ電話で相談に応じられたり、ここでお会いになってお話をなさったりということなんですが、どういう悩みを持ったどういう方たちがどんな訴えをしておいでになるんでしょうか?

篠原:「自らの命を絶とう」というふうな思いを持っておられる方々と私が対話をし始めてほぼ17年。自ら命を絶とうとするその思いの背景というのは、やっぱりそれは時代の流れによって大きく変化をしてきておりますけれども、「自分はこれ以上生きていても意味がない」……[と仰る]。ですから「自殺」とは[彼らは]言いません。「消えたい」と言います。「私はもうこの世から消えてしまいたいんです住職さん」と言う。比較的若者たちが増えてきた。

山田:それは、どういうことがあってですか?

篠原:若者たちがいま置かれている状況というものが、先行きが非常に不透明だということへの極端な不安感だと私は思っているんです。
 それから、中高年の男性の方々ですよね。よく「リストラはそのまま金銭苦[に繋がって]、金銭苦が自殺へ」という[図式があるが]、そうではないんです。それは一つの条件――要因――としてはありますよ。しかし本質は、「人生の中で自分の生きる目的であった部分をもぎ取られてしまった」というその喪失状態……自分の存在を否定されてしまった激しい喪失感。いわゆる、自分が生きていることを否定されてしまうわけですから。

山田:そういう思いをすぐにはなかなかお話になれないという方もいらっしゃるわけでしょうね……。

篠原:ほとんどの方が、自分の思いをすぐにワーッとお話しになることはありません。お茶を差し上げて、「よくここまでおいでになりましたね」という一言は申し上げますよ。しかしその後、ご本人のほうからお話し下さるまでじいっと待っています。それで、――先ほど申し上げたように――「ほっとしますね」という言葉が出たときに、「ああ、これはそろそろお話しが始まるな」ということが、長い間の体験から分かります。それでまた待つ。そしてぽつ、ぽつと……「実は」と言ってまた20分。「私……」と言ってまた10分。「今、もう生きる力無いんです……」と言ってそれからまた20分、なんていう方もいらっしゃいます。
 そういう方が、まず電話で私と通じた。そして、私のほうもお誘いするのでここでお会いできた。そういう状況をずうっと見てまいりますと、「死にたい」とか「消えたい」とか「もう私、生きている意味が無いんです」と仰るけれども、やっぱりその裏にですね、「できることならば私、生きていきたいんです」と……「どこかに出口はあるでしょうか?」という訴え――叫びのような訴え――を私に投げかけてこられる。私はそういうふうに受け止めてます。
 つまりですね、一つの思いとしては――思いこみとしては――「もう自分は死んでしまいたい」という思いがあるんでしょうけれども、実はもうひとつ重要なのは、この体なんですね。体は「生きたい」と思っているわけです。

山田:それはどういう……。

篠原:例えば、私のところを訪ねた少年がですね、富士山に行って自殺をしたいということで[富士山を]訪ねていったというんですよ。ところが、あの樹海の中へ一歩踏み込んだ途端に「怖い!」と思ったと。そして私のところに帰ってきた。私はそのときに言ったんですよ。「あなたね、頭の中では『消えたい、消えたい』と言っているけれども、あなたの体は『生きたい生きたい生きたい』と思っているんだよ。だから怖くなったんだよ」と。同じような例は他にも幾つもあります。
 渋谷に数人の若者が集まって、埼玉県の山奥で車の中で薬を飲んで酒を飲んで練炭に火をつけて……俗に言う練炭自殺を図った子がいるんです。ところがですね、一人の子が苦しくなっちゃって、目張りした窓をバーンと破って外へ出ちゃったんです。それで全員助かったという例があるんです。その子から話を聞いたんですよ。「どうなの?」、「いやあ苦しかったですよ。それでもう耐えられなくって飛び出しましたよ」。「つまりそうなんだよ。あなたは頭の中では『死にたい』だとか『消えたい』だとか言っているけど、あなたの体は生きたいと言っているんだよ」って。私はそういうときは強く言うんですよ。「だったら生きなきゃ」って。
 それでそのときに私は、いまこうして生きている――生きて生きて輝いている――大自然の姿というか大自然のこの状景を見て頂く。生きている姿を見て頂く。もっと言えば、その方々には、「生きる」・「生きませんか」というメッセージを自然から頂いてもらいたいと思っている。
 もちろん四季の移り変わりがありますからね。秋に来られた方は……ここはヒガンバナばっかりになりますから。そういうのって、私がいくら作ったって作れないじゃないですか。「ほっとする」と言う方もいれば、「わあ、すごい」と言う方もいらっしゃるでしょ。やっぱり命……「生きてる」という表現を「わあ、すごい」って仰ったんだと思うんですね。この梅の木がもう満開で真っ白の場合は、この部屋の中が真っ白になるぐらいになるんですよ。そこを見た瞬間に、その方々は私よりは向こうに目が行っていますから、「うわーっ」って言う。
 だから、命にかかわる問題であるだけに、自然のお力というか大自然の息吹……そこから発せられるメッセージだとかというものをお借りしない手はないな、と私は思っているんです。

山田:死を見つめる人たちに寄り添ってずうっと相談に応じていらっしゃるんですけれど、ご自分がこういうことをなさろうとお思いになったのは、どういうことからなんですか?

篠原:これは私の体験が原点になっているんですね。

(中略)

[篠原氏の生い立ちと少年時代、病歴が語られる]

 でもやっぱり[病院の]ベッドの上で悶々と……「生きるか、どうするか」、そして「生きられるだろうか」、「何か仕事ができるだろうか」というふうな凄まじい不安と悩み――悩みというか、将来に対する不安ですね――が[湧いてきた]。

 それで数日したときに、青森県弘前におられる、私のたいへん親しい方――先輩にもなるんですけれどね――が飛んできてくれましてね。「篠原、お前なあ」って、大きな声で僕の耳元で叫ぶんですよ。「心配するんじゃねえよ。どんなになってもお前のことは引き受けるから」って。「お金のことなんか心配するんじゃないよ。仕事のことも心配するんじゃないよ。生きてりゃいいんだよ!」っていうその言葉が今も私はね、耳に残ってますよ。もう嬉しくて嬉しくて。涙がとめどもなく流れましたね。

山田:嬉しいとお思いになった。それはどういうことでしょうか。

篠原:それはですね、要は私は「このまま一人で孤独の中で――あるいは孤立の中で――自分の人生を終えるしかない」と思っていたときにですね、「お前は独りじゃないよ」というふうに言って下さった。

山田:そういう気がなさったわけですね。

篠原:ええ、ええ。そのときに「ああ!」って思った。「そうだ」と。「私はまだ孤立はしていない」。

山田:そうお思いになったら、今度は手術を受けて「[成功率が]3分の1かもしれない」といった確率も越えていこうという力に……。

篠原:なりました。なりました、ええ。何か、3歳のときのことも、それから42歳のときのことも、やっぱり助けて頂いた。救って頂いた。その大きなご恩をですね、返さなきゃいけないというふうにですね……そういう思いは今もまったく消えませんね。
 そのうちに、このお寺の話を聞いて、――前から聞きはしていましたけれども、これほどまでに荒れ果てているとは思っていなかったのですが――今までこの命を救って頂いたこのご恩をここでお返しすることができるのであれば、私としてはこれに優るチャンスはないと思って、このお寺との縁を結ばせて頂いた。そういうふうに繋がっていくわけです。

山田:同時に篠原さんの中に、僧侶として「仏教は、生きる人のための仏教であってほしい」という願いがあって、それがベースになってこういうふうなかたちになっているんだと思うんですけれども、仏教というものをそういうふうにお考えになるというのは何からなんでしょうか?

篠原:それはですね、私が幼稚園の頃に母が再婚したんですが、その[相手の]男性と私は、師匠と弟子の関係になるわけです。弟子に入ったわけですね私は。そこでやっぱり禅寺の小僧として徹底的に教育をして頂いた。

(中略)

 高校の頃から具体的に師匠と御葬式等に伺うわけですよね。その時に師匠と共に必死になってお経を詠むわけですけれども、「亡くなった人の前でお経を詠んでいて意味があるのかな?」という疑問にとりつかれたんですね。
 大学からずうっと――仏教学というふうなものを含めて――学んでいく機会があったんですけれども、常にあったのは、釈迦であったり祖師方――私は曹洞宗ですから道元禅師や瑩山禅師――がお説きになっている様々な説示――お示し――はですね、亡くなった人には説いていない。生きているかたに向かって説かれたものであるという確信がずうっと大きくなってきまして。そしてもし私がお寺をお預かりできるようなことがあったら、「やっぱりお寺というものは生きているときに来るところであって、死んでからでは遅いんですよ」と。「人間の生き方――穏やかな人生、幸せな人生――を続けていく……そういうための羅針盤なんじゃないか。その羅針盤をお伝えするのが、本来のわれわれ僧侶の役目であろう」というふうに、私の気持ちの中ではどんどんどんどん固まっていった。それを実行できるのはここ[=長寿院]だ、と。まったく手つかずに荒れているんですから。その手つかずのところから出発すればよいわけだから、こんなに有り難いことはないな、と思った。それからファイトが湧いてきた。いいでしょう、と。なんて良い預かりものが私に生まれたんだろうと思って。

山田:なんか、さすがに「こんなに[お寺の荒れ方が]ひどいのか」と思ったら逆に元気が湧いてきた?

篠原:はい。湧きました。「いいだろう」と思いましたよ。

2 of 2へ続く)



【関連リンク】www.soudannet-kaze.jp