山下良道法話:「奇跡を待ち望まないために」(4 of 4)
※話者:山下良道(スダンマチャーラ比丘)
※とき・ところ:2009年8月23日 一法庵 日曜瞑想会
※出典:http://www.onedhamma.com/?p=522
※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。
それで、今日のテーマは「なぜ我々が神秘体験というものに簡単にひっかかっちゃうのか。神秘体験を吹聴する先生にコロッとイチコロになっちゃうのか」。それで、今の仏教のグローバル・スタンダード――“A, B, C”のA――をいま紹介しました(2 of 4および3 of 4を参照)。これは“A, B, C”のAのテキストですよ。だから、どんなに自分がすごい経験をしても、それをペラペラペラペラ吹聴するのはルール違反なんだっていうことは明らかじゃないですか。それが仏教2500年の、常識中の常識なんですよ。この常識中の常識――まあ日本でもかなりガタガタになっているけども――をまず常識中の常識とすること。それがやっぱり大事なんですよ。それをまず「基本のキ」にして下さいね。「ミラレパだって、チベットの人でしょ」と言うかもしれないけども、道元禅師は道元禅師でまったく同じことを仰っていますから。ミラレパも道元禅師もまったく同じことですからね。それを基本のキにしましょう。いいですか?
そのうえで、なぜ我々[=瞑想をしようとする多くの人]があんなにも神秘体験というものにイチコロに参っていたのかっていったらばね、結局その「自分が非常に辛い。非常に苦しい」。その苦しみの原因があるのに――苦しみの原因を見るのは非常に辛いことじゃないですか――それを見ないで、一気になにかそれを解決してくれる神秘体験というものがあって[=あると想像していて]、その神秘体験をペラペラ喋っている先生が居ると、いかにも何かその神秘体験にすぐに入っていけそうな気がして、そうすると自分の辛いこととかを全部忘れることができるから、「ああ、そっちへ行きたいな」と思うのは当然なんですよ。
だけども、皆さんどうですか? できなかったじゃないですか(笑)。無理なんですよ。なぜかっていったらば、「こっち」が解決していないんだから。こっちが解決していないんだから、呼吸を見るということすら当然できないんですよ。呼吸も見れない人間が、色んな神秘体験なんかできるわけがないじゃないですか。だから、まず我々がやらなきゃいけないのは、この自分のどうしようもない苦しみのあり方にどう直面して、どう乗り越えていくかですね。
私が光の話を一切しないから……「光が見たい、見たい」って言っていた人が、ようやく「ああ、なんで私[=山下良道]が光の話をしないのかが分かった」って言ってきて下さったんですよ。ああ、それは素晴らしいなと思って。それはなぜかっていったら、その人は何とかして一生懸命に光を見ようと頑張ったんだけども、だけど当然見れなくて。それで結局、光を見るも見ないも、その前にあまりにも辛いものを本人は抱えているから、その辛いものを解決しないで呼吸瞑想も光を見るもあったもんじゃないっていうことですね。本人はそれに気づいたみたいで。私もそれを聞いて非常に嬉しかったんだけど……「ああ、ようやく、私が何を言いたかったか通じたんだな」と思ってね。通じるのに2年間かかっちゃったですけどね。まあでもその人にとっては、2年間の「ああでもない、こうでもない」が必要だったということだと思うんですけどもね。
さっきは「虫歯の痛み」って説明したけど、我々は何かを抱え込んでいるわけですよ。その抱え込んでいるものの正体と、それをどうやって乗り越えるか[が焦点]なんですけども、それを先週は「ハビット・エナジー」(habit energy)という言い方をして、「つい習慣的にやってしまうエネルギーがある。つい習慣的にやってしまうのを止めるのが、寝食を共にすることだ」っていうことを先週お話ししたし、今日の道元禅師の話でも、「一緒に生活することでそういうことを乗り越えることができるんだ。だから、一人だけで住んでいたらだめだよ」っていうことがあったと思うんですけど。
じゃあそのハビット・エナジーをもっと見ていくとどういうことかっていうと、ハビット・エナジーを持ったものが自分の体のなかに1つの生き物みたいなかたちで在る。それをまあ「ペインボディ」と呼びます。この「ペインボディ」はエックハルト・トールさんの造語……まあエックハルト・トールさんが使っているよということで使っているけども、他の先生が使うことはないから……まあ普通、「ペインボディ」といったらエックハルト・トールさんが専売特許を取っているのかな(笑)。
それでね、これはどういうことかっていうと……。我々はまあ苦しむわけですよ。その苦しむということがどういうことかっていったらば……先週は「主人公が代わる」っていいましたけども、我々は、旧い主人公――thinking mindね。Aさんがずっと「考えて考えて考えて…考えているのが私だ」ということ――が手放されたところで初めて主人公が代わって、それで初めて呼吸が見れる。こないだBさんが「第三者が呼吸を見ている」って表現されていたけども、まあどんな表現をされてもいいんだけども、そういうことなんですよ。要するにthinking mindが見るんじゃないということですよ。
そこで〈thinking mind=俺〉としたときに、いろんな苦しみがそこから生まれてくるんだけども、それは「いま現在」でのことでしょう? いま現在、Cさんはそういう苦しみを作っちゃうわけですよ。だけども、実はもう、そういうことを何十年やってきたわけですよね。何十年やってきたその結果が、Cさんの体のなかに入っているわけですよ。Aさんの体の中にも入っているわけ。だからAさんが、いま自分のthinking mindを自分と間違えて、いまAさんの心に湧き起こってくる怒りを「自分だ」として、怒りのままに何か他人に酷いことを言ってしまうとか……そうやって苦しみをいま生んでいるというのはそのとおりなんだけども、じゃあAさんは今だけそうやっているかというと、そうじゃなくて何十年間やってきたわけね。その何十年間やってきた結果としてAさんの体のなかに1つの生き物みたいなものがすでに棲んでいるんですよ……気持ち悪いかもしれないですけどね。その生き物の名前を「ペインボディ」って言っているわけ。いいですか?
だからそれは、イメージとしては……皆さん“ALIEN”というハリウッドの映画を観たことがあると思いますが――まあもちろんあれはハリウッド映画だけども――、本質は何かっていったら、「エイリアン」が[体の中に]棲んじゃっているわけですよ。それで、「エイリアン」がその人になりきっちゃうわけですよね。いいですか? それで、なりきっているかぎりは、自分のなかに「エイリアン」が居るなんて分からないじゃないですか。ここがポイントなんですよ。せいぜい寄生虫だったら分かるじゃないですか……「ああ自分の中に寄生虫が居る」とかね。それは「寄生虫が自分のお腹の中をうごめいていて気持ち悪い。なにか虫下しを飲んで出さなきゃ」ってね。それは良いわけですよ。なぜかっていったらば、寄生虫は物理的には[体の]中に居たとしても、寄生虫を「自分だ」とは思わないから。
(中略)
「エイリアン」というのは「外部」ですよ。だけど本当の恐ろしさは…Dさんが「これは、どこか宇宙から来た『エイリアン』だ」って見抜けたら、それは恐くはないわけですよ。恐いかもしれないけど、これは「他者だ」って分かっているじゃないですか。だけど一番の恐ろしさは、それがいつの間にかDさんの体のなかに入っちゃって、[Dさんは]それがまるでDさん本人だと思いこむ。その恐ろしさなんですよ。
それで、エックハルト・トールさんが「ペインボディ」とかそういう言葉をなぜ使うかというと、「ほらほら、あなたの中に『エイリアン』が入ってるよ」……そういう指摘をするんですよ。だけどその指摘を受ける前には、人間は自分のなかにそういうものが居るという自覚はそもそも無いんですよ。なぜかっていったらば、それ[=ペインボディ]はもう「自分だ」と思い込んでいるから。「それが当然だ」と本人は思うわけね。
それでね、ペインボディというのは過去の積み重ねなんですよ。だから、いまAさんの心のなかで様々な苦しみが生まれているのはその通りなんだけども、それをAさんは何十年間やってきてしまった。何十年間やってきてしまったその積み重ねが、いま自分[=本人]のなかに在るわけね。そこをね、エックハルト・トールさんがどう言っているかというと、
There are two levels to your pain: the pain that you cleate now, and the pain from the past that still lives on in your mind and body.
(エックハルト・トール“The Power Of Now: A Guide To Spiritual Enlightenment”)*1
いいですか? 要するにね、「苦しみというものには2つのレベルがある。そのうちの1つは、いま自分自身が作っている苦しみ。それと、過去から自分自身が作ってきた苦しみ。そしてそれが、今の自分の心と体のなかに棲んでいる・生きている」。その2つの苦しみをきちんと見て……その2つは区別しなきゃいけないんですよ。もちろんそれ[=2つの苦しみ]は重なり合うんだけどね、究極的には。だけども、その「過去からのもの」をきちんと見抜く必要がある。
そしてここからはね……これはなぜ言うかっていうと、皆さんにとって――はっきり言いますけどね――、神秘体験がどうのこうのっていうのは今は関係ないんですよ。そうではなくて、皆さんにとって一番の関心は、過去からの非常に辛い思い出とか色々あるじゃないですか……嫌なことがさんざんあった。「両親とうまくいかなかった」、「パートナーとうまくいかなかった」、「同僚とうまくいかなかった」。ありとあらゆることがあって、その何とも言えない辛い思い出……そしてその辛い思い出が現在もあるっていうことね。結局そこじゃないですか。そのドロッとした・ネチョッとした何ともいやらしい苦しみね。それを無視したところで、「ああ、そこから何か解放されて神秘体験に入っていきたい」って言ったって、それは無理なんですよ。そこを無理やりやろうとしたら、もちろんあとはドラッグを使うしかなくなってしまう。
ドラッグというのはもちろんハイにもなるけども、一気にドロッドロになるわけですよ。だから何にも解決しない。これは単なる逃げになって。だから、「ここ」に問題が在るのに、この問題に直面しないでただ逃げて、どこかに何か快楽を求めたらば、そんな快楽は一瞬しか使えないし、続かないし、その快楽を得るために途轍もないこと――法律に反すること、ありとあらゆること――をして、体も心もボロボロになっていってしまう。
それはまあ、こないだも話したですけども、だからそれほど酷いことが行われているんだから、結局いまここにある苦しみそのものを一気に解決することができたらば、我々[=苦しみから解放されたいという人]はもうドラッグは要らないじゃないですか。ドラッグを必要とする根本的な理由がもう無くなるんですよ。それでもう我々は、自分をただ傷付ける結果に終わるあらゆることの全てから解放されるんですよ。
当然ね、ドラッグをやっている人はこれ[=ドラッグ]で解決するとは思っていないですよ。だけども、「あまりにも辛いから、この辛さからたった30分でもいいから解放されたい」といって、クスリに手を出しちゃうんじゃないですか。彼らだって当然、[ドラッグで]解決できるなんて思ってはいないけどもね。
だけど、もしこれが本当に解決がつくんだったらば――それも30分とか法律を犯すとかそんなこと一切無しに――、そしたらこっちをサッサとやっちゃったほうが良いわけですよ。(中略)それは可能です。
それで、それがどういうかたちでAさんのなかに入っているかっていったらば、ペインボディというかたちで入っている。ペインボディというのは要するにね、Aさんのなかにエイリアンのように入っちゃっていて、それは、Aさんがずうっとそういうことをやってきて……まあ習慣みたいになっているものですね。ちょっとエックハルト・トールさんの書いたものを見てみましょう。どういうふうにエックハルト・トールさんが説明しているかというのを……これは非常にクリアーですから。
As long as you are unable to access the power of the Now, every emotional pain that you experience leaves behind a residue of pain that lives on in you. It merges with the pain from the past, which was already there, and becomes lodged in your mind and body. This, of course, includes the pain you suffered as a child, caused by the unconsciousness of the world into which you were born.
This accumulated pain is the negative energy field that occupies your body and mind. If you look on it as an invisible entity in its own right, you are getting quite close to the truth. It's the emotional pain-body.
(エックハルト・トール“The Power Of Now: A Guide To Spiritual Enlightenment”)
いいですか? これはどういうことかっていうとね、私らが完全に自分のthinking mindにとらわれちゃったときに、怒りに駆られて怒りから解放されることなく、怒りの対象(相手)がどんなに悪い奴かを100の理由を考えて、人は攻撃をしちゃうわけですよ。そのときに、その怒りによって引き起こされる痛みというのが跡を残していってしまうんですよ。今ただ単に怒って終わりじゃなくてね。
いま怒って終わりで「はい、きれいに無くなる」んだったらいいんだけども、その何とも言えないものを我々の心に残していってしまうわけね。そしてそれをずうっとやってきたから、もう過去からの貯金――悪い意味での貯金――があって、悪い意味での貯金にもうひとつ、悪い貯金が重なるわけですよ。悪い貯金が増えるわけね……要するに借金が増えちゃうわけですよ。
そして、その借金を我々は自分の心と体に背負うことになる。だから、いま10万円をサラ金で借りちゃって……とてつもない金利で。今までも1000万円の借金があるのに、1010万円の借金になっちゃうという。だから利息だけでとんでもなくて、利息も払えなくなっちゃうという、とんでもないことになるわけですよ。
そしてその借金のなかにどういうものが含まれているかというと、当然、「子供としての痛み」ですね。私の友人がちょうど4、5日前に赤ん坊を産んで、昨日お見舞いに行ったんだけど、赤ん坊って本当に弱い存在じゃないですか。何もできないわけですよ、赤ん坊として生まれちゃったらね。それで、普通はお母さんというのは愛情溢れた存在だから、それを何とかしておっぱいをやるわ、おしめを取り替えるわ……友人夫婦も頑張ってやり始めたけども。だけど、もし両親がとんでもない人間だったら、とんでもないことになるわけですよ。こんなに完全無抵抗な状態で両親がやばかったら、完全にこの赤ん坊、あるいは小さい子供は致命的な打撃を受けちゃうわけじゃないですか。大人になったらね、道を歩いていて変な人が来たって「変な奴だ」と思って避けるし、変な人からどんな変なことを言われたって、まあサーッとスルーすることはできますよ。だけども我々が赤ん坊とか小さな子供で、全く無抵抗な状態で親がちょっとあれで、親から攻撃を受けたらもう堪ったものじゃないじゃないですか。それでご存じのように、そういう人が日本にも西洋にも山ほど居るんですよ……致命的なダメージを受けちゃった人がね。それで、子供の時に受けたダメージというのは心の一番底に――底の底まで――届いちゃっているから、その後の人生がぜんぶそれで染まってしまうという……本当に私は嫌というほどそういう人に会ってきているから。その子供の時からの借金――自分がしたくてしたわけではない借金なんだけども――がそこに在るわけね。
それで、そういう借金というものは今の本人のなかでどういうかたちとして残っているかといったらば、“This accumulated pain is the negative energy field that occupies your body and mind.”……だから「ネガティブなエネルギーのフィールド」っていうね。分かりますね? だから、なにか怒ったとき、あるいは心配になったとき――心配し始めたとき――に、何とも言えない重たくて暗くてネチョッとして何とも言えないエネルギーの感覚が生まれるじゃないですか。あるいは怒ったときは――心配と怒りというのは微妙に違うからね――もっとカッカカッカした・ウワーッとしたような、ちょっと違うエネルギーのフィールドが我々の体のなかにできますよね。そういうものなんですよ。それは、もう生き物みたいなかたちとして在る。だからそれは“invisible entity in its own right”……よく見えないんだけども、ひとつの何か存在として――だからエイリアンみたいなものとしてね――存在していると見たほうが、遙かにその正体を見破り易いんですよ。
例えば怒りの「ペインボディ」で説明すると……パートナーから酷い目に遭わされてものすごく怒って、それでそのパートナーとは一応別れた。それで新しいパートナーができて。だけどもその新しいパートナーが、1つ前のパートナー――昔のパートナー――と全く同じことを言った。あるいは全く同じような行動をした。その言ったこと・行動したこと自体はそんなに大したことでもないんだけども、結局それが引き金になって、昔のパートナーに対するぜんぜん解決のついていない怒り・恨みがぜんぶワーッと湧き起こってきてしまう、というようなものなんですよ。
これは「パートナー」と言うとあれなんだけども、例えば違う国同士……例えば戦争をして、実際に或る国の人からものすごい酷い目に遭った。それは或る国のAという兵隊さんによって酷い目に遭ったわけですよ。それから何十年か経って、もうAという兵隊さんもなにも居なくなって。それでその国の若い世代とは一切何の繋がりも無いんだけども、この若い人を見るだけで――結局同じ国の人だから――、昔のAという兵隊さんに対する恨みとか怒りがぜんぶ湧き起こってきてしまう。結局、国と国とがうまくいかないっていうのは結局そうじゃないですか。私らが、古い記憶があまりに残っていてね、いま目の前にあるお隣の国だとかとうまく真正面から付き合えない。それで結局お互いに非難のし合いに終わってしまう……パレスチナとイスラエルの間も、まあ日本と近隣諸国との間も。もう結局そうじゃないですか。
だからそれをどうやって乗り越えていくのかという話で、じゃあどうすればいいかというと、「観る」……エックハルト・トールさんは“watch”ってただ言っているだけだけど、これはもう完全に、「気づく」っていうことですね、テーラヴァーダの文脈だと。「気づくこと」、「サティ」、「マインドフル」……どんな言い方をしてもいいんだけども。今まで、例えば怒りが湧き起こってきて、もうAさんが怒っているのではなくて怒りそのものがAさんになってしまう。「私が怒っている」[と本人は思っているが、]……そうじゃないですよ。とにかくワーッとなって、ただワーッとやっているだけじゃないですか……「ああ、私は怒っています」なんていう、そんな余裕は無いわけですよ、普通はね。それでその時に――いま「余裕が無い」って言ったけども――、その「余裕」をどうやって生み出すか。そこにね、マインドフルとか――エックハルト・トールさんは今“watch”とだけ言っているんだけども――“watching”することの意味があるわけね。
要するに、我々が“watching”したときに――何かを見たときに・何かに気づいたときに・何かにマインドフルになったときに――私と、そのもの[=対象]との間には距離ができるわけですね。その距離ができないと、怒りに負かされて、怒りにどうしても流されていってしまう。そして、その怒りと自分とが完全に同一化していってしまう。だけども、そこを見ることができたときに私と怒りとの間を断ち切ることができるということですね。だからその断ち切ることができたときに、我々は自由になる……一歩[自由に]なるんですよ。
なぜそうかっていったらば……ペインボディが自分のなかに居て、だけどもそれが自分のなかに居るということにも気づかないで、それがまるで自分であるかのように思ったわけですよ。そのときに、「そこにペインボディが居るんだ、『エイリアン』がそこに居るんだ」ということをまず見ることですね。そして、「自分のなかにペインボディがあるんだ」と見た瞬間に我々は「ペインボディが自分だ」というその繋がりが壊れる――“disidentification”――ということが起こるわけですよ。
だからね、もうこれは一つの訓練だから……かつて何かきっかけがあって、そしてそのきっかけとともに、皆さんの体のなかに何とも言えないネガティブなエネルギーのフィールド(=場/領域)が生まれる。これは皆さん、すでに知っているはずです。怒ったときに、頭だけで怒るわけないでしょう。怒ったときに必ず、何とも言えない嫌なネチョッとして暗くてどす黒いエネルギーのフィールドが生まれるじゃないですか。それで、一番大事なのは、そのときに「ああ、そういうエネルギーのフィールドが生まれたな」と気づくことなんですよ。それを観ることなのね。それを観たときに、我々はまず自由への第一歩を踏み出すわけ。これはね、もう実際にやってみて下さい。やったら、そこから分かります。
いいですか? 「自分のなかに何かわけの分からないものが居るらしい」……それがいつも居るわけじゃないんですよ。普段は非常に穏やかでね。だけども何かの拍子で何かが自分のなかから生まれてくるじゃないですか。それがどういうふうかというと、何かちょっと惨めな気持ちとか、何かちょっとイライラした気持ちとか。それが、自分のなかからペインボディが目覚めてくる一つの兆候ですね。それがイライラであったり、我慢しきれなかったり、あるいは人を攻撃したくなる気持ちであったり、怒りであったり、あるいは逆に気の沈みであったり鬱状態であったり。あるいは何かパートナーとの間に派手な喧嘩をしたくなっちゃったり。
そうするもの[=ペインボディ]が居て、それが湧き起こってくるじゃないですか。一番大事なのは……そこに何かわけの分からない「生き物」が居ることを見破るでしょ、この「生き物」はどうやって生きているのかというと、「生き物」であるかぎりは、どうしたって食べ物が必要じゃないですか。私らのなかに居る、得体の知れないペインボディというものは何を食べて生きているのかというと、実は我々のそういうネガティブな感情ですね……怒りとか。そういうものを食べている。となると、多くのことに説明がつくんですよ。
まあこれは去年くらいにかなり言ったと思いますけども、例えば皆さんから見れば非常に理不尽な生き方をする人って居るわけですよ。例えば、意味もなく心配し続けることもあるし、意味もなくただ恨み続けることもある。意味もなく「自分が何かの犠牲者である」ということを[思い続けることもある]。意味もなくただ怒りっぱなしとか。だけども、「そんな心配したって意味無いじゃん」、「そんなに、ある人のことを毎日考えて、毎日恨んで――確かにひどいことをされたかもしれないけども――、何の意味も無いじゃない」、あるいは自分が何かの犠牲者になって、自分を犠牲にした相手のことを毎日考えて恨んで恨んで恨んで恨んで恨んで……そんなこと、いったい何になるの? って、外から見たら当然見えるんだけど、ここに何とも言えないペインボディが在ると思ったら、なぜかが分かるんですよ。我々のペインボディというのは、そういう怒りだとかそういう心配だとかそういう恨みだとかそういうものが餌――エネルギー源――なんですよ。だから、そういうふうに常に怒っていなきゃいけない。常に心配してなきゃいけない。常に恨んでなきゃいけない。だからそういうものは……自分が不幸せであること・自分が惨めであることがいつまでも続いていってしまう。
こないだの接心でも慈悲の瞑想をやって……慈悲の瞑想というのは最初は「自分が幸せでありますように」[と祈るが、]こんな「自分が幸せでありますように」なんて、当たり前じゃないですか。誰だって幸せになりたいんだし。だけども、なぜ我々が「自分が幸せでありますように」なんていう当たり前な瞑想をするのかというと……ある参加者が非常に正直に言って下さったんだけども、彼はびっくりしたと言うのね。「どうも、見てみると、自分は本当に自分が幸せになってほしいのかどうか分からなくなった。どういうことなのこれ? 自分が素直に『自分は幸せになってほしい』と祈れない」。そこに彼はびっくり仰天しちゃったわけね。「私が私を幸せになってほしい」と思うのは当たり前と思うんだけども、実は「本当に私は私のことを幸せになってほしいのか?」って心のなかに入っていったときに、あんまりはっきり分からなくなってしまった、というね。「じゃあ、私自身が『私は幸せになってほしい』と思っていなかったら、じゃあ誰が『私は幸せになってほしい』と思うんですか? 私のことを『幸せになってほしい』なんて思う人が誰も居なかったら、私はとてつもなく惨めなのは当たり前だ」ってね。普通は「私は私が幸せになってほしい。だけども色んな人と利害がぶつかるから、なかなか幸せになれない」って思うわけですよ。だけども、自分の心を本当によくよく探っていったら「本当に私自身が私を『幸せになってほしい」と思っているのか?」というと、「あれ?」と思うぐらいに、そうでもなかったというね。「そういう自分を発見できてびっくりした――ショックを受けた――」と彼は言っていましたけども、
じゃあなぜそんなことが起こっちゃうのかというと、それは、その人のなかにペインボディという何ともわけの分からないものが居て、そのペインボディというのはネガティブな思いが大好きなんですよ。というか、それによって生きているから。だから、怒りだとか恨みだとか心配だとか恐怖だとか……それがペインボディの食料でありエネルギー源であるから、そのペインボディが生きているかぎりは我々は、惨めであること・不幸せであること・怒っていること・心配であること・恐怖であること・恨んでいること……その状態がいつまでも続いていってしまう。恐ろしいことなんですよ。
だけども、「ああ、こういうメカニズムになっているんだ」と見破ることが、そこから解放される第一歩です。ですから――今日はもうここで終わりにしますが――、皆さん、ペインボディというものが、何とも言えないエネルギーのフィールド……怒ったときに・心配したときに・何かとてつもなく人を恨んでいるときに、自分の体のなかに何が起こっているか、どういうエネルギーが生じているかをチェックしてみて下さい。それをチェックして、それがまるで何かわけの分からない生き物のような・エイリアンのようなものが皆さんのなかに無いですか? そこを見て下さい。そしてその「エイリアン」は、皆さんが怒り続けること・心配し続けること・不安であること・恨み続けることを望んでいるんですよ。なぜかといったら、それをエネルギー源としているから。だけども、「そこにわけの分からないエイリアンが居る」と見破ったときに、そこから皆さんは自由への一歩を踏み出します。だから、ペインボディというのはエックハルト・トールさんが導入した概念ですが非常に有効ですから、そこを見て下さいね。そうしたときに我々は初めて自分の「虫歯」と向かい合って、「虫歯」から解放される。それ[=虫歯]が我々の瞑想を邪魔していたんだから、邪魔しているものが無くなったら当然、瞑想がうまくいくし、当然どんどんどんどん深いところへ入っていくし、深いところへ入っていくにつれて、今まで見えなかったようなものが見えてくるのは当たり前で。だけどもそれ[=虫歯から解放されること]をしないで、逃げるために神秘体験なんかに縋りついたら、とんでもないことになってしまう。ということです。
(終わり)
*1:“The Power Of Now: A Guide To Spiritual Enlightenment”の日本語版は『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』